12月21日(金)は、津ライオンズクラブの記念すべき例会となりました。昭和35年5月20日に結成式を行ってから1000回目の例会。恒例となっている伊藤会長のユーモアあふれる挨拶の後、喜寿をむかえられた斎藤甲子生ライオンの記念の講話に耳を傾けました。
 会には、近藤津市長(名誉会員)や亀山、津中央、久居、津西の各ライオンズクラブの役員メンバー、平松、草川、森本、橋本、松島のOBメンバー、そして楠元事務局員らも駆けつけてくれました。
 「小笠原千秋とともに・アコースティックな歌絵本の世界へようこそ」のテーマのもとに、ワインとディナーと音楽の記念すべき家族会を楽しみました。ダークグリーンの衣装に長い黒髪、インテリジェンスただよう美しい容貌のボーカル小笠原千秋、ハーモニカ鈴木力、ギター辻邦男による星やクリスマスにちなんだ自由な歌に会場が魅了されました。
(報告:L久米宏毅)

 1月11日(金)、1001回目の例会は、センターパレスホールで和風なお正月を満喫しました。
 型通りの例会進行の後は、懇親会。年男紹介に続いて、河村第一副会長の発声で乾杯した後、乙部の芸妓さんたちによる新春初舞の披露です。当クラブと平均年齢が変わらない
芸妓さんたちの舞を、今年もまたこれか、と思って見ていた会員も多いようですが、毎年同じことをして一年間無事に過ごせたことを確認するのが、日本のお正月の正しいあり方。我慢、我慢。ていうか、ほとんど誰も見てなかったけど。
 芸妓さんの後は、年齢が3分の1くらいのYE生、ONG SIEWKOOM (シャーミンと呼んでください)が、ホストファミリーのL宮木康光から紹介されました。シャーミンのお礼の挨拶からは、宮木家の歓待ぶりが伺うことができます。ご苦労様でした。特に歓迎会あたりから、L宮木三郎がシャーミンに接する態度を見ていると、孫に対するような愛情が感じられました。シャーミン本人もくつろいだジャパニーズライフを満喫できたことでしょう。
 でも、シャーミンがマレーシアの紹介をしたときは、みんな宴会モードに入ってて、ほとんど聞いてませんでしたね。ごめんね、シャーミン。でもこれが、ティピカル・ジャパニーズ・パーティー・スタイルなんだよ。(報告:L長谷川信)

 今年の我が津ライオンズクラブは天気に恵まれています。納涼例会、移動観劇例会、クリーン津清掃奉仕、三クラブ合同該当献血、と外に出るイベントは全て快晴の下で行われています。2月24日(日)、この日の「邦楽チャリティコンサート」も例外ではありませんでした。でも逆にそれは、集客が芳しくなかったときの言い訳の道を断ってしまうことにもなります。開場を前にした実行委員スタッフの顔は、初めてのイベントに対する不安からか、空とは裏腹に、なかなか晴れません。
 開場直後、いきなりアクシデントが立て続けに起こります。スペースと楽器数の都合から、楽器を体験できる小学生を入場時にくじ引きで抽選したのですが、最初の入場者である親子は、そんなこととは知らずに来場。また運悪く抽選に外れたため、怒って帰ってしまいました。二組目の親子もまた外れてしまいます。今度は女の子が大声で泣き出してしまい、母親がなだめても10分以上泣きやみません。約2分の1の確率で当たるはずなのに、何て運の悪いスタート。不安は拡がります。
 でも、当たりくじが出始め、受付スタッフもシステムの説明に慣れてきたあたりから、スムーズに来場者の列が形成されてゆきます。またグループで訪れた子供たちには、くじ引きによる当たり外れがゲーム感覚を呼ぶのか、逆に盛り上がったりしています。何でも遊びに変えてしまう子供たちの純粋さにも救われ、スタッフの不安は杞憂に終わりました。
 気がつけば開演の頃には8割方が埋まる大盛況。この時点で成功を確信し、始まってもいないのに「お疲れさま」の声さえ交わされる始末です。
 実際、体験会自体も大成功。一芸に秀でたプロの演奏家たちは、先生としてもやはり一流です。「高虎太鼓」などは、たかだか10分程度の練習で、初体験の小学生たちが見事な演奏を披露しました。「箏」も初めてにしては、みんな上手く演奏できていたように思います。「尺八」だけは少し音を出すのが難しかったかな。
 体験する楽器の順序も絶妙でした。演奏の難易度、音の派手さなどの要素を勘案すると、「太鼓」「尺八」「箏」の順序以外なら、ここまでの盛り上がりは得られなかったでしょう。
 何はともあれ、「ここ数年で最大のヒット企画」と賞賛する声も多く聞かれる大成功でした。準備段階からご苦労を重ねてこられた赤塚委員長をはじめとする実行委員会の皆様お疲れさまでした。また見事な演奏と指導を披露していただいた、東海かおり様、菅原久仁義様、高虎太鼓の皆様にも、この場をお借りして再度御礼申し上げます。

 この日、この会場に集まった小学生は、特に上流階級の子女や優秀な生徒が選ばれたわけではなく、服装や立ち居振る舞いは、ごく普通の小学生たちでした。日頃、ろくに外で遊ばずにゲームに熱中する様を見たり、いじめのニュースにふれたりするとき、我々はついつい「今どきの子供たちは」と嘆いてしまいます。でも、自分が子供の頃、数百名の観客を前に初めて触れる楽器を演奏してみろと言われたら、そんな度胸があったでしょうか。今回ほとんどの子供たちが自発的に挑戦していたのです。「今どきの子供たちは」結構たくましいんじゃないですか。

 最後に、来場した小学生に対して行ったアンケートの結果のうち、一項目を紹介して、この成功が単なる自己満足でないことを証明したいと思います。

 設問「今日の体験会は面白かったですか?」
 回答「はい」:189名、「いいえ」:17名
(報告:L長谷川信)

 3月8日(金)快晴無風。会員が集まりだした午後5時頃には少し肌寒くなってきましたが、それでも絶好の「夜梅(“よばい”って読むのかなあ?)」日和です。
 1週間前の週末、このあたりはスギ薬局(こんな名前の薬局で花粉症の薬を買って大丈夫だろうか)の開店とも重なって、例年を上回る「しだれ梅渋滞」が起きていました。それを思うと、今宵こうして閉園後の結城神社を貸し切っての梅見例会とは、なんて贅沢なんでしょう。人波に嫌気がさすこともなく、心ゆくまで紅白の梅林を鑑賞できました。
 思い思いに観梅した後は、正式参拝で厳かな気分を味わい、続いて結城神社参集殿で例会です。通常通りの進行の後は、会場をご提供いただいた結城神社の宮崎吉章宮司よりご講演をいただきました。事項書のタイトルは「結城神社と結城宗広公について」となっていましたが、ほとんど話は「しだれ梅誕生秘話」に終始しました。でも素朴な語り口と、宗教とは縁遠い現実的な苦労話についつい引き込まれました。
 敗戦で国家神道から、独立採算の宗教法人となったがために、自ら食い扶持を稼ぐことを余儀なくされ、草競馬や自動車学校など試行錯誤を重ねた末にたどり着いたのが、今の「しだれ梅」であるとのこと。由緒あるこの梅林が、紆余曲折を重ねたマーケティングの産物であったと知ったら、神聖視していた世間の人はがっかりするかもしれませんが、我々経営者にはむしろ親しみを感じさせられるお話でした。この季節には問い合わせの電話がひっきりなしに鳴ってパニックしているとのこと。立派なビジネスの成功事例。このような不況下ではうらやましい限りです。


 例会後は場所を披露宴会場へ移して、懇親会です。お食事の後、前川明巳さん・中野穣さんのお二人によるマジックショーが行われました。もの悲しい音楽に乗せて繰り広げられるマジックの数々。プロではないということで、演出的には不足している部分も多かったように思いますが、技術的には幾つか感心させられるトリックもあったので、これはこれで面白かったように思います。でもどんなトリックよりも、「誰だ、このおじさんたち。新入会員かな」と思わせるような地味な服装の人たちが、突然マジックを始めたときが一番ビックリしました。ちなみに彼らのあとで、伊藤会長がマジックを見せて会場を凍らせましたが、これは恐らく、彼らの芸が本物であることを相対的に立証するべく行ったことだと思います。さすが会長、というべき心遣いですね。
 ところで、ゆったりとしだれ梅の観賞をされた会員の皆様は、同じ時間に観梅に訪れた若い男女が「貸切です」と、入園を断られていたのをご覧になったでしょうか。贅沢な時間をご提供いただいた結城神社様と執行部役員の皆様に感謝申し上げたいと思います。
 さあ、「梅」の後は「桜」の代名詞でもある「春の家族会」。季節の風物詩は続きます。(報告:L長谷川信)


設問:皆様にとっての「心に残る例会」と
その理由やエピソードなどをお書き下さい。
 昨年末の年末家族会をもって、我が津ライオンズクラブの例会は1000回を数えることとなりました。第1回の例会は昭和35年5月20日。なんと自分が生まれる半年前のこと。長い歴史の中のいくつかの想い出をご覧ください。

【初日に緊張】
 予想通り多かった回答が「入会後まだ1年半ですが、やはり、入会初日の例会は緊張しました」(L中西昭彦)という『初めての例会』。以下のようにベテラン会員の方々でさえ、鮮明に記憶してらっしゃるようです。

【入会に後悔】
 「昭和37年(1962年)10月に津ライオンズクラブに入会しましたが、当時津ライオンズクラブは結成後やっと二年を経たばかりのクラブで会員も50名位でした。例会出席の電話をいただき、初めての例会出席なのでどんな挨拶をしたらよいか考えながら例会に出席しましたが、ライオンズクラブとはどんなクラブなのか誰からも説明がありませんでした。幹事から座る席だけは示されましたが、入会式もなく紹介もなく、挨拶することもなく例会は終了しました。例会後、近くの席にいた人に挨拶をしただけで、何でこんなつまらないクラブに入会したのか後悔したものです。当時はライオンズ必携も会長必携もなく、会長も幹事もすべての会員がライオンズクラブの活動も運営も何にもかもわからずなんとなく例会が行われていました。今思うと立派なクラブに成長するには、永い間の歴史を積み重ねなければならないものと痛感します」(L原田温夫)

【高齢に唖然】
 「1971年、46才、津ライオンズクラブ入会、本年で33年。例会場に初めて出席した時、年齢の高いメンバーをみてびっくり。現在のL野田さんの父が幹事でした。新入会員のあいさつ、指名されてマイクをもつ。ライオンズは社会奉仕の団体であると聞き、喜んで入会した。今考えると100名位の友人が出来て自分自身の人生が色々な面に大きくなった事が一番の喜びであると思います。今後まだ若い73才、人生がつづく限り会員になって行きたいと思う」(L杉田和彦)

【運営に苦労】
 「まる10年在籍し二百数十回の例会に出席していますが、印象に残るのは、やはり自らテーマーとして企画・運営させて頂いた平成11年7月からの例会ですが、その中でも二つ。
 一つは8月12日に伊勢湾海洋スポーツセンターで開いた『納涼例会』です。この一年は、自分でも楽しめる例会を心掛けました。当時の案内には『夏の盛りの大変暑い時ですが、当日はヨットでのクルージング、バーベキューパーティ、ジャズライブ、ビンゴゲーム等楽しい例会を企画しておりますのでぜひご参加ください』とあります。カラー写真入りの例会案内から、クルージングのお世話、バーベキューの準備等、副テーマーのL原田佳幸には大変お世話になり、当日もL上田秋二をはじめ多くのお仲間に助けられて、とても楽しい例会が出来たと自負しています。今年、テーマーL原田佳幸のもと、二年振りに同様の楽しい納涼例会が開催されたのは皆様にも記憶に新しいと思います。もう一つは3月29日の『夫婦同伴花見例会』です。場所は西日本セブンスリーゴルフクラブ。やはり当時の案内によると『西日本セブンスリーゴルフクラブのクラブハウスから見る桜はたいへん美しく、少し花冷えのする時期ではありますが、夜桜を見ながら酒を酌み交わし、楽しい時をお過ごし頂きたくご案内いたします。また当日家族ゴルフ会(ゴルフ部会3月例会を併催)も開催いたしますので奥様はじめ、ご家族の方々のご参加をおまちしております』とあります。ゴルフは7組25名で、現伊藤会長の奥様、美津子さんをはじめ3名のLL、そして江藤さんも参加して頂きました。その中には、うちの家内も入っておりました。出る時には出るのです。拝み倒しましたが。夜の例会は『お筝とフルートの調べ』と題して筝・東海かおりさんとお弟子さん二人、フルート・中岡信子さんで、春の宴にふさわしい調べを奏でて頂きました。L46名、LL10名のご出席を頂き、充分楽しんで頂けたと思っていますが、例会に先立ってゴルフ場1番ティで撮った記念写真が今も手元にありますが、悲しいかな、まったく桜が咲いていないのです。例会日の設定がその日しかなかったのですが、決まった日からゴルフ場に毎日のように電話したり、自ら出向いて開花状況を見に行ったり、また例会前の1週間は夜通しライトを点けたり火を焚いたりしようかと本気で考えたり、大いに気をもみましたが、残念ながらこの年は寒さが続き、当日は固い蕾のままでした」(L中村豊久)。以下の回答でもそれがわかりますが、企画・運営の中心となるテーマー時代の例会は、その苦労もあって強く印象に残っているようですね。

【年末に結実】
「2001年12月21日(金)津LC1000回例会記念家族会。1000回を記念しての家族会をライオンテーマとしてどのように行うかを、半年以上にわたり考え、当日会員の皆様のご協力により何とかできた為、自分にとっては一番印象に残る例会です」(L原田佳幸)。当たり前ですが、今回の回答の中で最新の想い出でした。

【記念に贈呈】
 「“歴代会長の心が篭った槌”昭和56年12月27日、第500回例会。横井会長に記念品を贈りたいが何が良かろうかと山口幹事と模索した結果、毎回、手にしてもらって居る“ゴングを鳴らす槌”が20年にわたり歴代会長が心を込めて叩いて頂いたので、痛んできたので、この際これを額に入れて進呈する事にした。幸い幹事は大工さんでお手のモノ!殊の外喜ばれた」(L伊藤和広)。今使っている槌がそれでしょうか?だとしたら今のも20年の歴史があるわけですね。現会長がけっこう手荒に扱ってるけど。

【跡地に建設】
 次の二つは、お二人の方から同じ例会を挙げていただきました。バブル前の津の中心街が目に浮かびます。「旧市役所の跡地に竣工したばかりの都ホテルで田川亮三知事、岡村市長を迎え600回記念例会を行いました。気くばりの素敵な知事さんらしいスピーチ“今日一番喜んで見えるのは随分苦労して此のビルを造り上げられた岡村市長さんでしょう”と市長さんの労をねぎらわれたお言葉が大変印象的でした」(L藤波健一)
 「私のクラブ入会以来の思い出に残っている例会は、第600回記念例会でライオンテーマーとして司会をしたのが一番印象として心に残っています。1985年4月26日、新装なった津都ホテルにおいてライオン85名出席、その上ライオネス36名も出席していただき第600回記念例会を一層盛り上げていただきました。来賓として、当時4選を果たされた前・田川知事、センターパレス建設にご尽力をいただいた前・岡村市長の出席も頂きました。藤波会長のゴングにより開会され、会長挨拶に続き記念アクティビティーとして、三重県アイバンク協会への基金贈呈の発表があり、来賓の知事・市長よりご祝辞をいただき、藤波会長の閉会ゴングで記念例会を終了致しました。それから16年、昨年は第1000回例会が行われましたが、更にこの日を足がかりとして新しく大きな一歩を踏み出しまして行きたいものです」(L宮田太郎)

【一芸に執念】
 「1984年12月22日、第592回例会。藤波会長の時、“1984年を送る夕べ”実行委員長のL清水雅雄が女装し、他はライオンレディによる花笠踊りと尾鷲節。津ライオンズでこんなことが出来るのかと、びっくりした。後日聞くと夏すぎより練習を連日行ったとのこと。自分が入会の翌年であった」(L阿部博之)。どうせやるなら、とことんやる。手作りの例会はかくあるべきですね。

【火災に流会】
 次の二つも、お二人の方から同じ例会を挙げていただいています。当事の執行部の方々にとっては、余程忌まわしい想い出なのでしょう。「(第904回例会)“前代未聞の幻の例会”平成9年12月26日2PM、阿部幹事より緊急電話『本日の夜間・忘年例会予定のホテル・サンルートが火事です!』。急遽、対策にLC事務局へ走る。代替え会場を探したが不能、止む無く中止を決定、前代未聞の事態発生。全員に緊急FAX連絡、理事及び役員には電話で了解を。念の為に阿部幹事と飯田テーマは会場の前で待機!ご苦労様」(L伊藤和広)
 「平成9年12月26日[第904回/幻の例会]午後2時頃、サンルートが火事、夜間・忘年例会の場所だ。幹事として急遽対策のためLC事務局へ。代替え会場を伊藤会長、飯田テーマと探したが無く、やむをえず中止を決定。前代未聞の事態発生。会員に電話及びFAXで連絡。当日は風の強い寒い日で会場前で待機した。後日当日の第904回を一回と数える、こととなった」(L阿部博之)。てことは、本当の1000回例会は今年の新年例会だったわけですね。

【気骨に敬意】
 「平成12年最終例会 行方昭蔵さんの卓話“私は癌になり余命いくばくもない。こんな私の話だから真剣に聞いて欲しい”と口を切られシンとなった会場で津クラブのあるべき姿について彼の強い信念をのべられました。生一本な人、侠気の人、津ライオンズのため本当に一生懸命つくされた人。今の時代にしてあまりに早い生涯を駆け抜けて行った彼の言葉は鮮烈でありました」(L藤波健一)。黙祷。

【例会に疑問】
 たまには自分の回答も。入会して未だ2年弱ですが、入会直後(一昨年8月3日)の第967回例会が強烈な思い出となって残っています。上野で行われた地区ガバナー公式訪問例会でしたが、参勤交代みたいにこんなことに金を使うくらいなら、この金を奉仕に回したらどうだ、と強く感じたことを覚えています。今でも、地区年次大会など同様の会合に参加するたびに、同じことを感じます。ちなみにその例会からの帰路、バスの中で加藤甫Lから「君はおとなしすぎる」とお叱りを受けました。反省して、最近少しだけ意見を言わせていただいています。まだおとなしすぎるようでしたら、再度ご指導ください。

【協力に感謝】
 最後に、阿部L、伊藤和Lにおかれましては、ご回答に当たり、正確な例会回数を調べていただいて有り難うございます。特に伊藤和Lにおかれましては、ご回答に自らタイトルまで付けていただき有り難うございます。
 なお、1月・2月号が休刊となったため、当アンケートの回答掲載が遅れました。ご回答いただいた、ごく一部の良識ある会員の皆様には、ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。
(文責:L長谷川信)