20029月号

   

名張でガバナー公式訪問合同例会

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 8月27日 名張市の「平安閣」において、334−B地区、第4リジョン、第1ゾーン
の合同例会が開かれました。河村津LC会長はじめ8つのLCの会長がひな壇に列席するなか、渡辺祥ガバナーが入場、開会ゴングが鳴って例会が始まりました。
 池田博吉名張LC会長、竹田健作ゾーンチェアマンの挨拶のあと、各クラブとガバナーとの間で「質疑書」と「回答書」の交換がありました。続いて演壇に立った渡辺ガバナーは、おだやかな口調で淡々と本年度地区の「未来に希望を 若人に夢を」のスローガンと次のような地区基本方針を披瀝しました。
 1、青少年を明るく健全な未来に導こう
 2、会員増強するにあたって今何をするべきか
 3、未来に向けたIT化の促進を
 4、ライオンズクラブの現状を踏まえ、例会出席100%を目標とし、会員維持   に努めよう。
 5、智恵と汗と労力奉仕を目指すアクティビティを
 6、援助を求める世界中の人々にLCIFを通して国際貢献を  
 津クラブは力強くライオンズローアを吼え、8つのクラブの皆と手を取り合って「また逢う日まで」を合唱、帰途につきました。
道すがら、1日仕事を返上し3千円の登録料を拠出して参加するのだから、セレモニーとは言え、もう少し充実感の味わえる「合同例会」にしたいものだ、との声も聞かれました。
  

 9月7日から10日にかけて、L山田耕清団長、河村会長、小寺幹事はじめ津LCメンバー15名が、友好提携をしている北海道上富良野町の上富良野LCを訪問しました。両クラブを結び付けたのは、明治の半ば過ぎ、上富良野地域の開拓に取り組んだのが、津市出身者だったことによります。上富良野の関係者にとっては、三重県津市は先祖の故郷、自らのルーツにあたります。
 出発日前日には、なんと上富良野LCの赤川会長が津まで迎えに来てくれ、一緒に降り立った旭川空港ロビーでは、「歓迎・津ライオンズクラブ様」の横断幕。破格の歓待にビックリするやら、嬉しいやらの友好訪問のスタートでした。
上富良野LCの例会出席、ゴルフ、観光、ホテルや旅館での接待、メンバーが経営する飲食店での交流会、パークゴルフ場でのアカエゾマツの記念植樹など、など・・・、どこへ行っても大勢のメンバーが時間をつくって掛け付けてくれ、大歓迎を受けました。
 日頃忘れがちな心温まる人付き合いに触れ、「大自然のなかで大らかに暮らしている人々の人間性に学ばなければ」との思いを深めた、意義深い3日間でした。


■連載■

医師として、国学者として

宝永6年(1709年)伊勢国安濃郡八町に生まれた谷川士清(ことすが)は、安永5年(1776年)にこの世を去るまでの68年の生涯を、医師としてまた国学者として、世に尽くした。
谷川家は、代々医師の家系であった。士清は21歳のころに京都に出て、本草学(薬物学)・医学・儒学・神道について学んでいる。この間、神道許状、医学免許、さらには小笠原家からは生花許状を受け、京都で結婚して、26歳のころに津に戻った。
津に帰ってからは家業の医業「恒徳堂」をつぎ、納所の河原の狸も診療を乞うたと言い伝えられるほどの名医として、地域・近郊の人々の治療にあたった。いっぽう「洞津谷川塾」や神道塾としての「森陰社」を主宰していた。頼山陽の祖父、平賀源内とも交流があり、22歳年下で松阪に生まれた本居宣長とは、言語学の師として、また同じ国学の学友として、親交があったようである。

「日本書紀通証」 全35巻

「日本書紀」は、養老4年(720年)舎人親王が編纂した日本最古の歴史書である。全30巻で、1・2巻は神代、3巻以後は神武天皇から持統天皇までを漢文体で記述してある。
 この「日本書紀」の全巻にわたって士清は、1000年を経た士清の時代のことばで注釈を加えた。これが「日本書紀通証」全35巻である。「日本書紀」の古本・伝本を収集しながら、関連の諸書や有職故実を調べ、非常に実証的に仕上られているとのことである。
 当時、国学の第一人者であった賀茂真淵も絶賛し、本居宣長はこの著に刺激されて「古事記伝」の著に着手したと言われている。もちろん、日本最初の本格的な「日本書紀」注釈本として、後の学徒は皆、士清の偉業に学ぶところ大である。

「和訓の栞」 全93巻

 士清は、「日本書紀通証」を著す過程で、膨大な「ことば」の語義・語源を調べることになった。「ことば」の数にして2万897語である。これらの「ことば」の数々を、日本で初めて五十音順に配列し、それぞれ注釈を加えたのが「和訓の栞」である。士清は「和訓の栞」で、現在の五十音別国語辞典の基本を確立したのである。
 全93巻の編集を完了して1年後に士清は逝去した。その後、谷川家の人々は総力を上げて刊行に努めている。士清逝去の翌年に第1巻が刊行され、最終巻が刊行されたのは明治20年(1887年)である。谷川家の子孫は、この「和訓の栞」刊行に、なんと110年の歳月を費やしている。士清の血を引きつぐ根気と粘りには敬服するばかりである。

それと答えむ やまとたましい

ゆかりの谷川士清旧宅は、当時のままに修復され、国の指定史跡として今も津市八町3丁目にある。近くには谷川神社があり、その境内には「反古塚」がある。「反古塚」は、士清が神道者の習いに従い、多くの草稿を埋めた場所である。三日間、玉虫が現れたということで「玉むし塚」とも呼ばれ、津市の指定史跡である。
また、谷川神社に隣接する福蔵寺の境内には、士清の墓がある。そこには、「淡齋谷川士清之墓」と刻んである。士清の飾らぬ威徳を偲ぶにふさわしい端整な墓で、国の指定史跡である。なお、「淡齋」とは、士清の号のひとつである。

なに故に 砕きし身ぞと 人問わば それと答えむ やまとたましい


来る10月7日(月)午前9時から午後3時30分。
津サティ時計台広場にて津・津中央・津西三クラブ合同の献血会を行います。

 今回から、より安全な輸血のため、400M献血をすすめています。患者さんへの輸血は少人数にするほど、副作用を起こす割合が大幅に減少します。
 ライオン本人はもちろん、会社の方やご家族にも献血へのご協力を呼びかけてください。
 血液による健康診断にもお役に立ちます。成分献血をご提供の方はあらかじめご予約下さい。