2003年5月号 | ||
小雨の京都、筍づくしと 春の家族会〜4月第2例会〜 4月20日(日)あいにくの小雨もなんのその。L32名(現地合流3名、計L35名)ご婦人・子供・事務局12名、計44名を乗せたバスは和気あいあいと一路京都へ。口から生まれたバスガイドの鈴木まゆみさんの早口おしゃべりや、長谷川信Lの軽妙な司会による、L河村会長や実行委員長中村豊久Lの私生活暴露クイズで大いに盛り上がり、最初の目的地の伏見稲荷に10時頃到着。
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出前講座で学校と連携 L村山昌弘(亀山LC)が例会で卓話 青少年健全育成委員長L中藤のたっての希望で亀山LCより、青少年健全育成推進委員長L村山昌弘の卓話を頂戴いたしました。
懐かしい8ミリフィルム 〜チャーターナイト例会〜 L宮木三郎秘蔵の作品を上映
4月第1例会(11日)はチャーターナイト例会ということでレストラン・シャトーさんで夜間例会が開催されました。
津LC、堂々の2位 〜名古屋・桑名・津LC三クラブ懇親ゴルフ〜 月例は、なんとL宮田が連続優勝! 5月 14 日(水)、名古屋・桑名・津三クラブ恒例の懇親ゴルフコンペが名門桑名CCで開催されました。 ■新入会員紹介■ 2名の新入会員を迎えます。いずれも交代会員で、平均年齢を下げてくれる会員です。よろしくご厚誼ください。
Lおおたに・としお/昭和36年7月14 日生まれ/大和証券株式会社津支店長/自宅・津市大門5の3サンロイヤル大門/隆子夫人
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■連載■ |
“観音さん”の1300年
奈良(平城京)に都が移ったのは710年。その1年前の709年(和銅2年)に観音さんの歴史が始まる。阿漕が浦の海上に、毎夜、光明が放つのを見て奇異に感じた漁夫が網を入れると観音菩薩像を得たという。人々は礼拝讃嘆し、阿漕が浦に近い柳山の地に観音堂を建て安置したとのことである。
柳山あたりを中心に形成されていた当時の津のまちは、室町時代の明応の大地震(1498年)で壊滅状態になり、その後、津のまちは今の橋内地区から復興されることになる。そのなかで観音さんも現在の大門の地に再興されることになったと思われる。
「津観音略記」によれば、1400年代から途切れ途切れに文書が残っているが、多くの記録は戦火などで焼失してしまったのであろう、最初の本尊の行方も盛衰の歴史もつまびらかではない。しかし江戸時代(1811年ごろ)には、観音堂を中心に大願寺、大宝院、恵音院、智恩寺、不動院、仙王院、本願院が立ち並ぶ一大伽藍を形成していたとのことである。
「津の観音さんは、日本三大観音のひとつ」と言われても「まさか!」と思われがちであるが、第二次大戦の空襲で焼失する前の仁王門、阿弥陀堂,観音堂などの写真を見ると、江戸の浅草、尾張の大須、伊勢の津が三大観音と呼ばれたであろうことはうなずける。なかでも先代の仁王門の勇壮な構えは格別であった。
観音さんの境内
前述の伽藍のなかで、現在残っているのは観音堂と大宝院だけである。本来、津・観音とは真言宗の恵日山観音寺を言うのであろうが、西に隣接する大宝院が観音寺を兼ねており、大宝院の本尊とされる阿弥陀如来像は観音堂にある。観音寺と大宝院が並立しているのが津・観音の現在の実体である。
観音さんの紋は、「桐と梅鉢と菊」だそうで、そのうち“鳳凰が住む幸運の木”ということで、平成7年に「立町おかみさんギルド」が桐の木を20本境内に植えた。今ちょうどその桐の紫の花が満開である。商店街の発展を、早く育って大木になる桐にあやかろうとの願いもあるらしい。
現在の仁王門を入ってすぐ西側に「友愛の森」がある。「1984年11月11日、25周年記念」に「台北市国際獅子会」とわが「津ライオンズクラブ」が寄贈したものである。また平成7年には、護摩堂の新築に伴い燈篭1対と梅の木を、さらに水盤の横には気象計をわが津LCから寄贈している。
境内には、観音さんには欠かせない風情を醸す鳩が100羽ほど乱舞している。ちらほらと訪れる参拝者が手を合わる。近隣の社寺に比べて、やはり参拝者は多い方であろう。
ところで、津・観音の本尊である聖観世音菩薩像を拝観したことがあるだろうか。観音さんの本尊は、普段、公の目にふれることはない。写真もまるで世に出ていない。聖観世音菩薩は秘仏である。(掲載の写真は本尊です。了承を得ています)開帳は4月1日2日だけとなっている。となっている。観音堂内の正面に立つ黄金の観世音像は、実は前立ちさんで、本尊はその後に秘められている。
大慈大悲の観世音菩薩
観世音とは、文字の表意どおり世や人を観察するのに自在であるとの意味である。観世音菩薩は、広く世間を見渡し、大慈大悲で人々を救うという。「慈」とは楽を与えること、「非」とは苦を除くこと。観世音菩薩の霊跡(ある種の住所)は、日本では和歌山の那智山と考えられている。熊野信仰は観音信仰でもある。観世音菩薩は、阿弥陀仏の弟子もしくは化身とも位置付けられ、救いを求めるものの姿に応じて千変万化することができると言われる。観世音菩薩の“いつくしみ”が未来を包めば、先行き不安な昨今の時世に、安心をもたらすであろう。
(L久米宏毅・記)