20035月号

  

小雨の京都、筍づくしと   
ウィスキーのふるさとへ

春の家族会〜4月第2例会〜

 4月20日(日)あいにくの小雨もなんのその。L32名(現地合流3名、計L35名)ご婦人・子供・事務局12名、計44名を乗せたバスは和気あいあいと一路京都へ。口から生まれたバスガイドの鈴木まゆみさんの早口おしゃべりや、長谷川信Lの軽妙な司会による、L河村会長や実行委員長中村豊久Lの私生活暴露クイズで大いに盛り上がり、最初の目的地の伏見稲荷に10時頃到着。
 当日は年1回のお祭り(幸神祭)が行われ、グッドタイミングのハズが、雨のため準備が遅れ気味で、予定の11時すぎても御輿を乗せたトラックは出発せず。少々残念。それにしても寄進された朱色の鳥居の数の多いこと。さすが商売の神様の総本山でした。宝くじに当たらなかったLの皆様。清めの雨になりましたでしょうか?
 続いてバスは本日のメインエベントの錦水亭に到着。きりしまツツジが咲き誇る池と庭が我々を迎えてくれるハズでしたが………。
 このところの肌寒さでツツジも遅れ気味。自然は人間の都合に合わせてくれません。でも結局津LCの面々は、花より団子ならぬ竹の子。現地集合の3名のLが合流し、旬の竹の子をさかなに例会後の懇親会はいつもの通り、大いに盛り上がりました。お酒の本数が予定オーバーしたのではないかと、少々心配。
 竹の子だけで10種類の料理が出せるなんて、すごい。良い経験をさせていただきました。でも、もうしばらくは竹の子の顔もみたくない!!
写真撮影や、庭の散策とあわただしく過ごし、最後の目的地の山崎へ。
 ここサントリーの山崎蒸留所ではウイスキー作りの工程を見学した後、おいしいウイスキーの飲み方を教えていただきましたが、ほとんどのLにとって猫に小判。結局大門ではその後も、勝手気ままに飲んでいるLばかりで学習効果無し。ワンショット、ワンコインから、夏目漱石2〜3枚まで。いろいろ試し飲みし、メートルを上げっぱなしの状態で岐路に。さすがに帰りのバスの中では少々お疲れ気味の様子。若干の渋滞もありましたが、事故もなく、ほぼ予定通り津に戻ってきました。ご参加いただいた皆様、お疲様。実行委員会の皆様、ありがとうございました。


   

出前講座で学校と連携
〜亀山LCの先駆的な活動〜

L村山昌弘(亀山LC)が例会で卓話

  青少年健全育成委員長L中藤のたっての希望で亀山LCより、青少年健全育成推進委員長L村山昌弘の卓話を頂戴いたしました。
 亀山LCは本年度メインACTとして、小・中学校への「出前講座」を実施し、生徒たちに大きな反響を呼び大成功を収めています。この画期的なACTは、334-B地区内でも絶賛され多大なる評価を得て、ガバナー大賞に輝きました。
 これは、クラブメンバー全員が自分の仕事や趣味の分野などを登録し、学校の先生や子どもたちから要望のあったテーマについて、子どもたちに話をするものです。
 出前講座登録表によると、「森と川の大切さ」「料理教室」「銅板加工」「家を作る人達」「本について」「信頼と責任」「楽しいバレーボール」など、多種多様な講座がズラリと並んでいます。
 学校側は、開かれた学校を目指して地域との連携を模索しており、時機を得たライオンズのACTです。
 ガバナー大賞の表彰理由には次のように記されています。
 『出前講座の講師に全員が登録し、メンバーが講師となり、自動の地域への理解を深めてもらおうと、幅広い実践教育を行い、智恵と汗の労力奉仕に多大なる貢献をされました。又、地区スローガン「未来に希望を 若人に夢を」に基づき、日本のライオンスクラブ設立50周年を記念し、子どもたちの夢をカプセルに詰めて埋設されました。これらの活動が大きく評価されました。』。

   

  

懐かしい8ミリフィルム

〜チャーターナイト例会〜

L宮木三郎秘蔵の作品を上映

 4月第1例会(11日)はチャーターナイト例会ということでレストラン・シャトーさんで夜間例会が開催されました。
 当日はL宮木三郎が大切に保存されている、故L金丸ガバナーの302E・F地区第 回年次大会(津の体育館で開催)の模様を撮影された8ミリフィルムを上映していただきました。
 先輩ライオンの中には「あれ○○ちゃんの嫁さんやんか」等とたいへん懐かしがられておりました。
 フィルムを見ておりますと、昔の津クラブには皆で何かをやってやろうというパワーのようなものを感じましたが、最近の津は何とか一年間を通り過ぎればいいか、というような雰囲気に覆われているような気がするのですが私だけでしょうか。
 何はともあれ、ライオンズクラブを見つめるのには良い例会でした。


津LC、堂々の2位

〜名古屋・桑名・津LC三クラブ懇親ゴルフ〜

月例は、なんとL宮田が連続優勝!

  5月 14 日(水)、名古屋・桑名・津三クラブ恒例の懇親ゴルフコンペが名門桑名CCで開催されました。
 当日は心配された雨も残り3ホールくらいからシトシトと降り出しましたが、傘もいらない程度で日焼けもしない絶好のコンディションでした。
 津からは9名と、ちょっと淋しい参加者でしたが、L赤塚が5位に入るなど、上位5名で競う団体戦では名古屋を抜いて2位と健闘しました。1位はやっぱし桑名でした。あのクラブには上手いのが多すぎます。
 尚、津クラブ内での優勝者は、なんと2ヶ月連続でL宮田太郎でした。グロス101 、ハンデ24 、ネット77 ということですので次回6月 14 日の最終取り切り戦はハンディキャップが2割減の19になりますので、馬券の参考にしてください。


■新入会員紹介■

 2名の新入会員を迎えます。いずれも交代会員で、平均年齢を下げてくれる会員です。よろしくご厚誼ください。

  

L大谷利夫

L諸星憲生

Lおおたに・としお/昭和36年7月14 日生まれ/大和証券株式会社津支店長/自宅・津市大門5の3サンロイヤル大門/隆子夫人
Lもろぼし・のりお/昭和22 年9月24 日生まれ/株式会社ガス管工三重代表取締役常務/自宅・四日市市幸町7の9/さよ子夫人・ご長女友子さん/四日市高校・愛知工大電子工学科卒・合同ガスを経て現職/合同ガスL黒川と交代会員

   

   

■連載■


“観音さん”の1300年
奈良(平城京)に都が移ったのは710年。その1年前の709年(和銅2年)に観音さんの歴史が始まる。阿漕が浦の海上に、毎夜、光明が放つのを見て奇異に感じた漁夫が網を入れると観音菩薩像を得たという。人々は礼拝讃嘆し、阿漕が浦に近い柳山の地に観音堂を建て安置したとのことである。
柳山あたりを中心に形成されていた当時の津のまちは、室町時代の明応の大地震(1498年)で壊滅状態になり、その後、津のまちは今の橋内地区から復興されることになる。そのなかで観音さんも現在の大門の地に再興されることになったと思われる。
「津観音略記」によれば、1400年代から途切れ途切れに文書が残っているが、多くの記録は戦火などで焼失してしまったのであろう、最初の本尊の行方も盛衰の歴史もつまびらかではない。しかし江戸時代(1811年ごろ)には、観音堂を中心に大願寺、大宝院、恵音院、智恩寺、不動院、仙王院、本願院が立ち並ぶ一大伽藍を形成していたとのことである。
「津の観音さんは、日本三大観音のひとつ」と言われても「まさか!」と思われがちであるが、第二次大戦の空襲で焼失する前の仁王門、阿弥陀堂,観音堂などの写真を見ると、江戸の浅草、尾張の大須、伊勢の津が三大観音と呼ばれたであろうことはうなずける。なかでも先代の仁王門の勇壮な構えは格別であった。

観音さんの境内
前述の伽藍のなかで、現在残っているのは観音堂と大宝院だけである。本来、津・観音とは真言宗の恵日山観音寺を言うのであろうが、西に隣接する大宝院が観音寺を兼ねており、大宝院の本尊とされる阿弥陀如来像は観音堂にある。観音寺と大宝院が並立しているのが津・観音の現在の実体である。
観音さんの紋は、「桐と梅鉢と菊」だそうで、そのうち“鳳凰が住む幸運の木”ということで、平成7年に「立町おかみさんギルド」が桐の木を20本境内に植えた。今ちょうどその桐の紫の花が満開である。商店街の発展を、早く育って大木になる桐にあやかろうとの願いもあるらしい。
現在の仁王門を入ってすぐ西側に「友愛の森」がある。「1984年11月11日、25周年記念」に「台北市国際獅子会」とわが「津ライオンズクラブ」が寄贈したものである。また平成7年には、護摩堂の新築に伴い燈篭1対と梅の木を、さらに水盤の横には気象計をわが津LCから寄贈している。
境内には、観音さんには欠かせない風情を醸す鳩が100羽ほど乱舞している。ちらほらと訪れる参拝者が手を合わる。近隣の社寺に比べて、やはり参拝者は多い方であろう。
ところで、津・観音の本尊である聖観世音菩薩像を拝観したことがあるだろうか。観音さんの本尊は、普段、公の目にふれることはない。写真もまるで世に出ていない。聖観世音菩薩は秘仏である。(掲載の写真は本尊です。了承を得ています)開帳は4月1日2日だけとなっている。となっている。観音堂内の正面に立つ黄金の観世音像は、実は前立ちさんで、本尊はその後に秘められている。

大慈大悲の観世音菩薩
観世音とは、文字の表意どおり世や人を観察するのに自在であるとの意味である。観世音菩薩は、広く世間を見渡し、大慈大悲で人々を救うという。「慈」とは楽を与えること、「非」とは苦を除くこと。観世音菩薩の霊跡(ある種の住所)は、日本では和歌山の那智山と考えられている。熊野信仰は観音信仰でもある。観世音菩薩は、阿弥陀仏の弟子もしくは化身とも位置付けられ、救いを求めるものの姿に応じて千変万化することができると言われる。観世音菩薩の“いつくしみ”が未来を包めば、先行き不安な昨今の時世に、安心をもたらすであろう。
(L久米宏毅・記)