2004年9月号 | ||||||||
穏やかな風貌のL松岡
あす、親子鑑賞会 「まつり・祭・津まつり」親子鑑賞会はあす開催。 鳥羽で4委員長会議 9月14 日(火)、午後1時より鳥羽市の戸田屋で334B地区第4リジョンPR(IT)、YE、四献推進、青少年健全育成推進委員長会議が開催された。 |
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■新入会員紹介■ L大村直武(おおむら・なおたけ) 8月第2例会においてL大村直武が新入会。津生まれの津育ちでL赤塚はじめ高校の同級生などからあたたかく迎え入れられた。
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■連載■ |
思い出のセント・アンドリューズ
L橋本正治
今回は今年度のテールツイスターL橋本正治にお聞きしました。
─無理言ってすいませんね、社長室まで押し掛けまして。
早速ですが、入会はいつでした?
L橋本 私は、平成 年7月の入会です。それまでは私どもの先代の社長が入会しておりまして、その後を継ぐ形で入りました。スポンサーはL村山武久現会長にお願いしました。
─入会4年目ですか。でもライオンズのメンバーの方に、お知り合いは多いんでしょ?
L橋本 まあ、入会以前からほとんどの方にお付き合いしてもらってましたからね。
─ゴルフがご趣味でしたよね?
L橋本 私はゴルフ歴は長いんですよ。昭和 40年頃にはゴルフセットを購入していたくらいですから。でも当時は、一社員の分際で、という風潮がありましたし、丁度、腰を痛めたこともありまして、ゴルフを含めて昭和 年頃まで運動らしい運動はほとんどやらなかったんです。
─それがどうしてまた始めることになったんです?
L橋本 転機は、ある整形外科病院で診てもらったことなんです。先生がゴルフやってもええよ、って。それから私のゴルフ場と病院通いの往復が始まりました。
─ゴルフしながら病院へも通うって凄まじいですね。
L橋本 腰のことで少し安心したせいでしょうか、集中してやったこともあってか平成5年頃にはハンデは になりました。
─シングル間近ですね?
L橋本 まあ、実力的には15 〜 18といった所でしょう。始めの頃はガムシャラにやっていましたから。最近は、コースの景色も見るようになりましたし、スコアもあまりこだわらなくなりました。ストレスはゴルフ場へ置いてくるようにしています。年齢とともにゴルフも変わってきたかも知れません。
─小生なんか、ストレスを作りに行ってますけど…、その境地に達するまでにはあちこちのコースに行ったんでしょうね?
L橋本 国内は勿論、海外のコースも結構行きました。
最も思い出深いのは、6〜7年前、イギリスのセントアンドリュースオールドコースで、5バーディーを出したことです。 番ホールでバーディーパットが入った時、大勢の観光客から、拍手喝采してもらいましてね、ゴルファー冥利に尽きると言うか、何とも言え無い気分でした。
─話題を変えまして、経営者として最近の若者へ一言どうぞ。
L橋本 会社では、知識で仕事は出来ない。知恵に変えてやれ、とよく言っています。私はガンコな方だと思います。でも、若い人に物を言わせよ、また若い人に話を聞け、とも言っています。若い人の方がよく見えているんです。旧態依然とした考えではダメです。
例えば、茶髪のことがどこの職場でも話題に上りますよね。私は、茶髪以外に何か素晴らしいものを持っていればそれでも良いと思う方です。アテネオリンピックを見てご覧なさい。日本選手のあの頑張り、日本中が感動したじゃないですか。
選手の中に茶髪の選手もいたけれど何も言われないじゃないですか。
─さすがに目つきが変わってきましたね。新しい感覚が必要と言うことですか。
続けてライオンズにも一言。
L橋本 やー、ライオンズねえ。正直言うと私は、目立つことがあまり好きではないんですよ。ですから裏方で縁の下の力持ちのようなことで貢献させていただければ、と思っています。
─でも今年はテールツイスターとして頑張ってますね。
L橋本 日頃のドネーションへのご協力、本当に有り難うございます。これからも一生懸命発表させていただきますので、宜しくお願いします。
─ゴルフ談議、まだあったんですが紙面の都合上、続きは直接ご本人に聞いてください。ゴルフを始めて1年も経たない息子さんに抜かれて超ショックのL橋本さんでした。