2004年9月号

   

穏やかな風貌のL松岡
─ユニークなアイデアも披露─

334-B地区4R1Z
ガバナー公式訪問合同例会


 
 334─B地区第4R1Zの7クラブによるガバナー公式訪問合同例会が、去る9月2日、久居ライオンズクラブの主管によりプラザ洞津で行われた。
 地区キャビネットからはガバナー、幹事、会計をはじめ、主だった役員が出席、L松岡忠男ガバナーから基本方針が述べられた。
 スローガンは「とりもどそう日本の心、そして誇りを」で「奉仕活動…汗と知恵で素敵なアクティビティーを!」と「青少年を明るく健全な未来に導こう…時代のために」のふたつ。
 L松岡ガバナーは昭和5年生まれの 才。中津川LC所属で農協職員を経て市会議員を務め、現在社会福祉法人敬愛会特別養護老人ホーム役員。朴訥な風貌の中にも確たる信念でライオンズへの想いを語られた。
 なかでも、昔のように生活集団として、近隣での子育ての復活をもくろんだ「恐いおじさんおばさん登録制度」の提唱に興味を引かれた。
 また、基本方針に「改革」という文言を入れなかったのは、ライオンズクラブは政治じゃない。制度疲労に対処するには「クラブに新しい風を入れること」とのこと。前年度のキャビネットと全く違った穏やかな雰囲気であった。が、単年度でコロコロと変わるのはライオンズクラブという連続した活動を統括したり指導したりの有効性が問われることでもあると感じた。
 例会後、ガバナーを囲む懇談会が開催され、各クラブ5分間の持ち時間で質問や意見が交わされた。
 地区分離、地区会計、LCIF、アワード、入会金、会費等、数多くのテーマが持ち出されたが、同日中に2Zの合同例会があるとかで、まったくの時間切れ。もの足らない思いが残った。


勢揃いのクラブ会長とガバナー

  


あす、親子鑑賞会

 「まつり・祭・津まつり」親子鑑賞会はあす開催。
 当初目標の100組には達しなかったものの、85組を超える参加者が集まり、4班と午後の数組に分かれて学芸員の解説で鑑賞する。当日はカラー印刷のミニ絵巻のセットも配られ、津の昔の華麗な八幡宮祭礼を偲ぶ。
 なお、ライオンズクラブ係員は当日の会場出入りは自由。実行委員以外でも時間の許す限り会場へお越しになり、わが町津の昔の姿や江戸、京都、名古屋の祭礼絵巻。幕藩時代の津の名画や資料をご鑑賞ください。


鳥羽で4委員長会議
PR(IT)、YE、四献推進、青少年健全育成

 9月14 日(火)、午後1時より鳥羽市の戸田屋で334B地区第4リジョンPR(IT)、YE、四献推進、青少年健全育成推進委員長会議が開催された。
 同会議は、L中村幸昭、L西村和茂両名誉顧問、L大形集吉第4R・RCら地区役員及び各クラブ委員長が出席して行われた。
 津LCからは、L浅井常生、L山田耕清、L岸江広和、そして私L飯沼昭典が出席した。
 PR(IT)では、広報活動が会報からホームページ(HP)に移行しつつあることが報告されると共に、HPを利用できない会員対策が問題とされた。顕著な活動は、津LCの年間 12 回の会報発行、久居LCのHPが例会ごとの更新などである(津LCは12 回)。
 YEでは、キャビネットから夏期派遣希望の予備調査、受入学生、派遣実績の報告に終始した。
 「四献推進」では、献血は進んでいるが、他の三献が進まないとの問題点が指摘された。特に献血での成分献血へのご協力を呼びかけて欲しいとのこと。
 青少年健全育成では、会員か高齢化のため、体での奉仕がやりづらく、金に頼らざるを得ないとの悩み、薬物乱用の怖さに関する出前講座の希望が多く、実施方法が話し合われた。

■新入会員紹介■

L大村直武(おおむら・なおたけ)

 8月第2例会においてL大村直武が新入会。津生まれの津育ちでL赤塚はじめ高校の同級生などからあたたかく迎え入れられた。
(株)ガスリビング三重代表取締役/昭和19年2月18日生まれ/会社住所:津市西丸之内19-1/自宅:久居市桜ヶ丘町/暁美夫人、ご長女・容子さん、ご長男・佳之くん/平成9年・合同ガス取締役、15年・東邦ガス三重支店供給部長、16年・同退社、 13年・(株)ガスリビング代表取締役/趣味はゴルフを少々、お酒少々とのこと。スポンサーはL原田佳幸。

     

■連載■




思い出のセント・アンドリューズ


L橋本正治


 今回は今年度のテールツイスターL橋本正治にお聞きしました。
─無理言ってすいませんね、社長室まで押し掛けまして。
早速ですが、入会はいつでした?
L橋本 私は、平成 年7月の入会です。それまでは私どもの先代の社長が入会しておりまして、その後を継ぐ形で入りました。スポンサーはL村山武久現会長にお願いしました。
─入会4年目ですか。でもライオンズのメンバーの方に、お知り合いは多いんでしょ?
L橋本 まあ、入会以前からほとんどの方にお付き合いしてもらってましたからね。
─ゴルフがご趣味でしたよね?
L橋本 私はゴルフ歴は長いんですよ。昭和 40年頃にはゴルフセットを購入していたくらいですから。でも当時は、一社員の分際で、という風潮がありましたし、丁度、腰を痛めたこともありまして、ゴルフを含めて昭和 年頃まで運動らしい運動はほとんどやらなかったんです。
─それがどうしてまた始めることになったんです?
L橋本 転機は、ある整形外科病院で診てもらったことなんです。先生がゴルフやってもええよ、って。それから私のゴルフ場と病院通いの往復が始まりました。
─ゴルフしながら病院へも通うって凄まじいですね。
L橋本 腰のことで少し安心したせいでしょうか、集中してやったこともあってか平成5年頃にはハンデは になりました。
─シングル間近ですね?
L橋本 まあ、実力的には15 〜 18といった所でしょう。始めの頃はガムシャラにやっていましたから。最近は、コースの景色も見るようになりましたし、スコアもあまりこだわらなくなりました。ストレスはゴルフ場へ置いてくるようにしています。年齢とともにゴルフも変わってきたかも知れません。
─小生なんか、ストレスを作りに行ってますけど…、その境地に達するまでにはあちこちのコースに行ったんでしょうね?
L橋本 国内は勿論、海外のコースも結構行きました。
最も思い出深いのは、6〜7年前、イギリスのセントアンドリュースオールドコースで、5バーディーを出したことです。 番ホールでバーディーパットが入った時、大勢の観光客から、拍手喝采してもらいましてね、ゴルファー冥利に尽きると言うか、何とも言え無い気分でした。
─話題を変えまして、経営者として最近の若者へ一言どうぞ。
L橋本 会社では、知識で仕事は出来ない。知恵に変えてやれ、とよく言っています。私はガンコな方だと思います。でも、若い人に物を言わせよ、また若い人に話を聞け、とも言っています。若い人の方がよく見えているんです。旧態依然とした考えではダメです。
例えば、茶髪のことがどこの職場でも話題に上りますよね。私は、茶髪以外に何か素晴らしいものを持っていればそれでも良いと思う方です。アテネオリンピックを見てご覧なさい。日本選手のあの頑張り、日本中が感動したじゃないですか。
 選手の中に茶髪の選手もいたけれど何も言われないじゃないですか。
─さすがに目つきが変わってきましたね。新しい感覚が必要と言うことですか。
続けてライオンズにも一言。
L橋本 やー、ライオンズねえ。正直言うと私は、目立つことがあまり好きではないんですよ。ですから裏方で縁の下の力持ちのようなことで貢献させていただければ、と思っています。
─でも今年はテールツイスターとして頑張ってますね。
L橋本 日頃のドネーションへのご協力、本当に有り難うございます。これからも一生懸命発表させていただきますので、宜しくお願いします。
─ゴルフ談議、まだあったんですが紙面の都合上、続きは直接ご本人に聞いてください。ゴルフを始めて1年も経たない息子さんに抜かれて超ショックのL橋本さんでした。