2008年3

   

受付数249名中、津LC91名
=四クラブ合同献血=


 
より迅速な採血が課題

   

  3月5日(水)、ときおり小雪の舞い散る日、恒例の合同献血会が津サティ屋外広場で行われました。



 10時からの受付に先立ち、テント張りなど9時から最終の方の採血が終わり17時からの後かたづけまで、寒い中、8時間にわたり各クラブ会長、幹事、事務局さん、四献委員会の皆様には本当にご苦労さまでした。お陰様で、10時の開店(?)時には早くも数名の方が来てくださり、終了まで途切れることなく訪れていただきました。テントの中は10数名の順番待ち、お昼時には1時間程お待ちいただく状態で、「それでは次の機会に」と帰られる方もあり、私だけでも4、5名の方にお詫びをしました。
 一年中で一番血液が不足するこの時期に、折角足を運んでくださったのに献血していただけないのは非常に残念ですし、仕事を抜けてきてくださった方々に長い時間をお待ちいただくのも本当に申し訳なく思います。
 血液センターには採血車は3台あるそうです。全車借りることも可能だそうですが、少なくとも半年前までに予約をしないと出払ってしまうとのことです。ところがライオンズクラブでは、諮問委員会とか○○事業だとか、いろいろあり、日程を決めるのが遅くなり、その間に採血車はなくなっているというのが現状です。
 今年から四クラブ合同ですから、先に献血の日程を決め、その後、各クラブ個々の事業を計画してはいかがでしょう。ま、諮問委員会も四クラブが欠席となれば始まらないでしょう…?ちょっとそんな気がします。
 しかし、メンバーの皆様に助けられ、沢山の人に献血していただき、四献委員会一同ほんとうに感謝しております。心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。(四献委員会)



「赤福」問題のすべてを聞く

=2月第2例会:2月22日=

  
 講師は三重県健康福祉部健康・安全分野薬務食品室・食品生活衛生グループ副室長、山門幸誠様。
 先の「赤福」での食品不適正表示に関して、食品衛生法、JAS法について、食品110番に匿名での通報があったことから立ち入り検査、営業禁止命令等経過と違反内容、処分を懇切丁寧に説明していただいた。
 県と東海農政局、農林水産省など、管轄の違いから初期の段階でちぐはぐしていたことを感じさせられたが、三重県から全国を揺るがした事件の全容が理解できた。


   

   

ライオンズクエストってなに?
=3月第1例会:3月14日=



講師:L岡田恭孝(ライオンズクエスト認定講師・津西LC)


 ライオンズクエストってなに?という方、まだいらっしゃる?
 「いまさら聞けるか」という方(たぶんほとんどのメンバー)のために、津西LCのライオンズクエスト認定講師・L岡田恭孝に基礎講座をお願いした。
 ライオンズクラブの委員会の活動方針、事業内容。そして簡単なブレーンストーミングを織り交ぜ、解説いただいた。つまりは、教育指導要綱ではできない「真っ当に生きる力をつけてあげる」為の補助活動。ま、そんなところではないかと感じさせられた。


   

ゴルフ部会だより

L片岡が3月優勝

 3月度ゴルフ部会月例競技は、11日〔火)、久居LCのチャリティーチケットを利用して一志GCにて19名が参加して開催。ダブルペリアながら、グロス79のL片岡が優勝。2位にL伊藤健、3位にL加藤徹夫。
 次回は4月19日(土)、鈴鹿CC。そして5月の桑名、名古屋ホストとの三クラブ懇親ゴルフは、名門・名古屋ゴルフ倶楽部(和合)で5月12日(月)に開催される。
 クラウンズが終わった直後で、トーナメントコースに挑戦と言うところ。津クラブからは16名の枠ですので、お早めのエントリーをお願いします。

0000
L藤波、L宮田の元気に全員感服


グロス79は立派。L片岡茂樹

0000
(左)2位のL伊藤健   (右)久々の入賞、3位L加藤徹夫


●─会報誌に見る津LCの歴史─●

=その2=

歴史を受け継ぎ、ウイサーブで頑張ろう

L原田温夫

  

 「会報に見る津LCの歴史」、さっそく津LC最高年齢、津の生き字引、L原田温夫から25周年記念誌に寄稿した中から抜粋し、当時の思い出の原稿をいただきました。



25年記念誌



 上の記録は、津ライオンズクラブ25周年の記念誌「25年の歩み」として寄稿した、25年間の軌跡の最初の5年間の記録です。津ライオンズクラブは、昭和35年5月20日の結成会で最初の例会が行われ、百五銀行の金丸Lが初代会長に選任されました。スポンサークラブの名古屋ライオンズクラブの後藤Lが、津に新しいクラブを結成すべく奔走されました。彼は三重県庁のある津LCを県下の1位で登録したかったのですが、津LCは結成準備に時間がかかり、残念ながら県下の結成1位は桑名LCとなりました。日本での結成順位は桑名LCが110位で津LCは181位でした。
 今でこそライオンズクラブは、世界での奉仕団体であることは、一般の市民にも理解されていますが、結成当時はプロ野球の西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)の応援団かと言われたり、金持ちの道楽の団体と言われ、奉仕団体の説明をしても奉仕の実績が少なく理解されませんでした。私が友人の推薦で津ライオンズクラブに入会したのは、結成から2年5ヶ月後の昭和37年10月15日で、3代目の船谷会長の時でした。例会に出席するように案内を受け、初めて例会に出席しましたが、入会式もなく、紹介もなく、ただ末席に座って例会を見学したしただけでした。
 ライオンズクラブについての話があるものと思っていましたが、それもありませんでした。
 当時は会長・幹事のセミナーもなく、ライオンズ必携もなく、その上スポンサークラブからの指導もなく、会員自身、国際協会の目的や社会奉仕についての理解に乏しく、クラブ運営に戸惑っていたことと思われました。
 5代目の西村会長の時の幹事石本Lは、陸軍士官学校出の将校で、若い人は軍隊の階級のことは判らないと思いますが、陸軍少佐とか中佐であったと思います。彼は階級のことは一言も言いませんでしたが、彼が幹事に就任するや、発行されたばかりの「ライオンズ必携」を熟読すると共に、他のクラブの例会に出席し、各クラブの例会運営を参考とし、我がクラブもライオンズらしい運営が行われるようになりました。型にはまった堅苦しい例会から活発な意見の発表の場となり、定刻に終わることが出来ず、しばしば時間をオーバーしました。もし石本Lが会長になることが出来れば、きっとすばらしい運営を行うだろうと期待していましたが、残念ながら彼は会長をすることなく退会しました。
 津ライオンズクラブもやがて50周年を迎え、今では他のクラブに誇り得る立派なクラブになりました。が、それは長い年月と歴代会長や会員の熱意と努力によるものです。
 我々のモットーはウイサーブ(我々は奉仕する)です。住み良い社会作りのため、頑張ろうではありませんか。