2008年3月 |
受付数249名中、津LC91名
3月5日(水)、ときおり小雪の舞い散る日、恒例の合同献血会が津サティ屋外広場で行われました。
「赤福」問題のすべてを聞く
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ライオンズクエストってなに?
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ゴルフ部会だより
3月度ゴルフ部会月例競技は、11日〔火)、久居LCのチャリティーチケットを利用して一志GCにて19名が参加して開催。ダブルペリアながら、グロス79のL片岡が優勝。2位にL伊藤健、3位にL加藤徹夫。 0000
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●─会報誌に見る津LCの歴史─●
=その2=
歴史を受け継ぎ、ウイサーブで頑張ろう
L原田温夫
「会報に見る津LCの歴史」、さっそく津LC最高年齢、津の生き字引、L原田温夫から25周年記念誌に寄稿した中から抜粋し、当時の思い出の原稿をいただきました。
25年記念誌
上の記録は、津ライオンズクラブ25周年の記念誌「25年の歩み」として寄稿した、25年間の軌跡の最初の5年間の記録です。津ライオンズクラブは、昭和35年5月20日の結成会で最初の例会が行われ、百五銀行の金丸Lが初代会長に選任されました。スポンサークラブの名古屋ライオンズクラブの後藤Lが、津に新しいクラブを結成すべく奔走されました。彼は三重県庁のある津LCを県下の1位で登録したかったのですが、津LCは結成準備に時間がかかり、残念ながら県下の結成1位は桑名LCとなりました。日本での結成順位は桑名LCが110位で津LCは181位でした。
今でこそライオンズクラブは、世界での奉仕団体であることは、一般の市民にも理解されていますが、結成当時はプロ野球の西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)の応援団かと言われたり、金持ちの道楽の団体と言われ、奉仕団体の説明をしても奉仕の実績が少なく理解されませんでした。私が友人の推薦で津ライオンズクラブに入会したのは、結成から2年5ヶ月後の昭和37年10月15日で、3代目の船谷会長の時でした。例会に出席するように案内を受け、初めて例会に出席しましたが、入会式もなく、紹介もなく、ただ末席に座って例会を見学したしただけでした。
ライオンズクラブについての話があるものと思っていましたが、それもありませんでした。
当時は会長・幹事のセミナーもなく、ライオンズ必携もなく、その上スポンサークラブからの指導もなく、会員自身、国際協会の目的や社会奉仕についての理解に乏しく、クラブ運営に戸惑っていたことと思われました。
5代目の西村会長の時の幹事石本Lは、陸軍士官学校出の将校で、若い人は軍隊の階級のことは判らないと思いますが、陸軍少佐とか中佐であったと思います。彼は階級のことは一言も言いませんでしたが、彼が幹事に就任するや、発行されたばかりの「ライオンズ必携」を熟読すると共に、他のクラブの例会に出席し、各クラブの例会運営を参考とし、我がクラブもライオンズらしい運営が行われるようになりました。型にはまった堅苦しい例会から活発な意見の発表の場となり、定刻に終わることが出来ず、しばしば時間をオーバーしました。もし石本Lが会長になることが出来れば、きっとすばらしい運営を行うだろうと期待していましたが、残念ながら彼は会長をすることなく退会しました。
津ライオンズクラブもやがて50周年を迎え、今では他のクラブに誇り得る立派なクラブになりました。が、それは長い年月と歴代会長や会員の熱意と努力によるものです。
我々のモットーはウイサーブ(我々は奉仕する)です。住み良い社会作りのため、頑張ろうではありませんか。