2008年4月 |
春うららの大阪へ
4月第1例会は春の家族会で、大阪「吉本なんばグランド花月」へ。
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MERLって何?
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ゴルフ部会だより 4月度、ゴルフ部会は19日(土)、鈴鹿カンツリークラブ中コースで15名の参加の下、行われた。
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●─会報誌に見る津LCの歴史─●
=その3=
誌面から草創期の心意気
1960(昭和35)年〜1970(昭和45)年
会報誌の第1号が発行されたのは、1964年12月でした。当時は今のようにPC等を使い、簡単に印刷物を配れるという時代ではないため、結成から4年経って、ようやく発行する機運が到来したと言うことだったのでしょうか。それから、1970年までに数回発行された様ですが、現存するのは、1966年と1969年の各1回分と、5周年記念誌、10周年記念誌だけです。それぞれ今読んで見ますと、その時代を感じさせるもの、我々の今の活動に対して示唆に富んだもの等々、大変興味深く、皆様にも是非お読みいただきたいと思います。以下は各誌の内容のダイジェスト。
◎ 1964年12月津ライオンズクラブ会誌No.1より
・ 写真は表紙の部分の2枚のみで、みどり学園、聖マツテヤ子供の家、国児学園、津市児童福祉会館の子らを鳥羽水族館・鳥羽湾周遊に招待した時の写真。
・ 記事は全10ページ。内容は例会の時に紹介しましたL西村会長の格調高い「会誌の発行にあたって」という記事、L金丸初代&第2代会長の雑感、その他10人のライオンが、特に統一テーマは設けず自由に随想を寄稿しておられます。
中でも、L原田温夫の「水道の嘆き」という随想が目を引きました。内容は、水道法という法律の話、水源の汚れや水道料金値上げの話をからませ、「天然自然の水だから何に使おうとも、どれだけ使おうとも勝手だとおっしゃるでしょうが、水の尽くした功績は忘れないでほしいと水は嘆く」と締めくくっておられます。
・ 当クラブ誕生のいきさつ(L金丸の雑感より)─
三重県下にLCが全くなかった1957年あるいは1958年頃、名古屋ライオンズクラブから、三重県下に一つLCを作りたいので協力して欲しいとの依頼が、金丸氏(当時百五銀行専務)にあったが、当時はLCそのものの認識が不十分であった事と、たまたま県下を襲った伊勢湾台風その他の原因で、津がぐずぐずしているうちに、桑名・四日市・伊勢と相次いでLCが誕生し、津が遅れてしまった。(残念)
◎ 1966年12月津ライオンズクラブ会誌No.2より
・この号のメインは、旧皇族の賀陽邦壽氏を例会にお招きし、講演を頂いた内容を特集として掲載。
・ 他に、前会長の御礼記事、前幹事のL原田温夫の「幹事生活の思い出」(10月10日の亀山ライオンズクラブのチャーターナイトに行くのに、バスが遅れてヤキモキした話。椋本から亀山への道路の一部が狭く、トラックとバスが対向出来ないという、今では考えられない交通事情)、ほかに随想が3編。
◎ 1969年6月津ライオン誌No.2より
No.2となっていることから、また編集後記を読むと、この頃は1年に2回発行していたものと思われます。(但しこれしか現存せず)
・ この号は、編集委員長のL森栄一の人柄か、なかなかバラエティーに富んだ記事・構成になっています。
・ 目次を見ますと「私はこう考える(三重いすゞ社長。最年長のL船谷)」「会長退任に際して(会長L山田)」「例会記録」「ACTIVITY記録」「ライオンズ常識テスト」「クリスマス家族会」「これが私の健康法(25名が一言づつ)」「随想2編」「特集わが戦争体験の記録(12名が寄稿)」「津ライオン生年表」とバラエティーに富む。
目次以外にも、ところどころの囲み記事で、「私の自慢品」というコーナーがある。
・ それでは、「ライオンズ常識テスト」の中から難しい?問題を2つ。
1.テールツイスターからファインをとる方法は?(正解は誰かが提案し、全員の同意を得ること)
2.ライオンズカラーの色は?(正解は紫と黄色)
・ L藤波の随想から。題は『酒と私』「私の酒は余り強くない。すぐに赤くなってふうふう言う。それでも決して嫌いではない。晩酌も欠かさないし、寝床に入る前にも、ちょっと飲みたくなると、ビール1本かハイボール2杯ぐらい飲む…。」
・ 特集は「わが戦争体験の記録」特集をした理由を編集者は以下の通り記載しています。少々長いですが平和の尊さを再認識させてくれる、名文です。
「私たちは生き永らえることができた。そして今この記録を書き綴る機会を得ている。出征の日モミヂのようなかわいい手を振って送ってくれたわが子も、今はもう皆立派な社会人となってそれぞれの生活を守っている。この生活を何ものもこわすことはできない。
私たちが自分ひとりに軍隊生活の思い出を、懐かしい郷愁として持ち続けている段にはかまわない。しかし私たちは再び道を踏み違えてはいけないし、わが子、わが孫を戦場に送ることが、大きな罪であることをしっかりと心にとどめておかなければならない。彼等をして再びこのような記録を書かなくてもよい世が永久に続くことを祈りながらこの特集を編む。 この一遍一遍が青年または中年時代を空しく真空時代で送らねばならなかった勇者たちの、雄々しくもまた、心やさしい真実の記録である。
─以下、次号につづく