2008年6

         

   

桑名・花水木で ”塩じぃー”のお話

─334複合地区第54回年次大会─
2008年6月8日(日)


 
次年度スローガン
「温故知新」革新への挑戦

 当日は、桑名 花水木で、代議員総会・塩川正十郎氏の講演・大会式典・晩餐会の四部構成で開催された。代議員総会では、2006〜2007の決算の承認・次期スローガン「温故知新」革新への挑戦・家族会員の会費についての承認・環境憲章の採択・福井正憲元国際理事の国際第2副会長への推薦・国際理事欠員の補充養成の推薦者の件が承認された。
 昼食後、塩じぃーの講演会があったが少し内容が硬くいつものテレビのような感じではなかった。ただ、後期高齢者保険制度については大変憤慨されていたのをおぼえている。
 大会式典は例年のようなプログラムで進行した。特質すべきは、各ガバナーのご婦人がすべて着物で着物のショーのようであった。その後、晩餐会はパスし津に戻り生月で本年度・次年度三役を始め参加者全員で懇親会・二次会を開催した。小寺会長は、ほっとされたのかこの日はホロ酔いを通り越して酔っぱらい状態であったこと合わせて報告とします。(L宮木幹事・記)

   





古き良きライオンズとは?

=5月第2例会:4月25日=
ベテランライオンが思い出話

  
 5月第2例会は姉妹提携・会員交流委員会担当で、L原田、L藤波、L三宅、L杉田、L川北、L黒田による、それぞれのライオンズクラブ経験を踏まえてのお話。題して「古き良きライオンズとは?」
 トップバッターは我がクラブのライオンズクラブ・歩く辞書、L原田温夫。L金丸ガバナーのキャビネット幹事としてまさに古き良き時代をお話しいただいた。続くL藤波健一は一転して今は亡き奥さまとの出会いのお話。ホロリを通り越し、ピュアな愛情に一同感動。
 お話しいただく前は、さぞやライオンズでの武勇伝をご自慢とともに聞かせられるかな?とお思いの方も多かったはず。
 しかし、いずれの先輩も謙虚に淡々と、ライオンズクラブでの楽しい思い出話。
 L黒田晴のマージャンクラブの「はい、スミマセン。それアタリです」などに笑わせられ、L川北三良の会長、幹事、会計には一度もつかなかったが、100パーセント出席を続ける姿勢にこれ又一同大感動。
 共通した雰囲気は、ライオンズ大好き、まだまだ仲間として楽しみたいとおっしゃること。
 ライオンズ歴の浅いメンバーにもクラブの素晴らしさを分かっていただけたスピーチでありました。




ごみのお話

=6月第1例会:6月13日=
新最終処分場について3氏が卓話




  津市環境部新最終処分場建設推進課の浦出寛治課長、木村重好副主幹、今井一則主査をお招きして、津市の重要な環境政策である新最終処分場建設計画の現状について、お話を聞きました。
 合併後の津市においては、4ケ所のごみ処理施設〔河芸美化センター(焼却施設)、西部クリーンセンター(焼却施設)、白銀環境清掃センター(リサイクル、埋立施設)、クリーンセンターおおたか(焼却施設)〕が稼動していますが、白銀環境清掃センターが昭和46年からの操業で老朽化していること等から、津市として新たな最終処分場を建設する必要が出てきており、本年3月に選定委員会を設置し、県外の施設視察も行い検討を重ねているところです。ただし、建設予定時期は現在のところ未定です。
 津市のごみ処理処分の総量は、一般廃棄物が132千トン、産業廃棄物が35千トンの合計168千トン(平成17年度)であり、年々総量は少しずつではあるが減少しています。そのリサイクル率は逆に年々上昇し、平成16年度には26・1%(全国平均17・6%、三重県平均28・4%)となっています。  津市が目指す最終処分場は、「自然環境や景観を損なうことのない施設配置や、緑地公園の整備などをイメージし、市民の憩いの場を提供できるようにするとともに、安全で安心な施設整備を行う」ものとし、最終処分場(埋立地)の規模は15年間で37万G(高度な選別をした場合は15年間で22万G)と予測し、屋根が移動するクローズド型を計画しています。また、新最終処分場では、大地震による被害、遮水シートの破損、大雨時の雨水による被害、悪臭、ほこり、騒音による被害など想定されるリスクも配慮し、クリーンなイメージ施設にしたい。
 以上の内容を映像で詳細な説明がありました。
 粗大ごみに例えられる我々ですが、将来のごみの問題は環境対策の観点からも大変重要な事柄であり、行政と共に真剣に考えなければならないと感じました。浦出課長のダジャレで第1155回は有意義な「いい午後」でした。(会報委員会L田中・記)


   

ゴルフ部会だより


本年度取り切り、最終戦ともL伊藤雅朗がV

=6月14日(土):伊勢志摩ロイヤルCC

 ゴルフクラブ取り切り戦は6月14日、伊勢志摩ロイヤルCCで開催。
 梅雨の最中といえ快晴。23名の多数の参加。特に取り切り資格の参加回数4回以上の方が近年最高の22名。
 その中で、優勝はL伊藤雅朗、2位L赤塚。6月度月例はペリアで、こちらも優勝はL伊藤雅朗。2位にL山路、3位に初参加のL牛場。
 競技後、ロイヤルホテルに会場を移して打ち上げ懇親会。翌日、朝食の後、自由解散でしっかり飲み、しっかり歌い一年を締めくくりました。


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どうですこのフォーム。(左)L小寺会長、(右)L田中進


L細石健治のナイス?ショット!

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(左)W優勝のL伊藤雅朗        (右)準優勝のL山路

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(左)3位のL牛場章雄         (右)5位はL遠藤勝之

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(左)L橋本は7位         (右)L村山部会長は10位

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(左)15位のL小林幸夫      (右)L飯沼は20位でブービーを脱してバンザーイ!


 ブービーはこの人、L宮田太郎

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(左)大いに盛り上がる懇親会          (右)次年度ゴルフ部会長と幹事のご挨拶

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(左)カラオケとくれば優勝級の歌う弁護士   (右)渋いのどを披露するLサブロウ


●─会報誌に見る津LCの歴史─●

=その5=

L金丸ガバナーのもと第22回地区年次大会

10周年〜20周年




─以下、前号よりの続き。

◎ 1973年2月(72年2号)
・ 「アクティビティー・委員会だより」から。津ライオンズ杯争奪市内中学校野球大会の報告は、少年少女委員長L黒田晴。久居市主催の身体障害者体育大会が開催されたという報告は、盲人厚生委員長L宮木三郎です。また、L宮田太郎のご長女宮田ソノ子さんの比叡山という随想も掲載されています。今も昔も、記事集めに苦労していたのでは?と思われます。
◎ 1973年7月(72年4号)
・ 1年の終わりということで、会長・幹事のお話が巻頭を飾っています。内容は省略しますが、「1年を終えて」と題したその文章から読み取れるのは、今も昔も変わらない悩み?そうなんです、その年の課題は(1)は出席したくなるような例会、(2)地域社会より共鳴を得るLCにする、(3)ライオンズを原点に戻す。ということでした。また、きれい事一辺倒のマンネリ体質を打破し云々…。
創生期から10年を過ぎるともうマンネリ????
・ 「新しきライオンご紹介」記事には、L中川治夫が登場。入会は1973年5月ということで、若々しい写真が載っています。

◎ 15周年記念誌(1975年5月)
・ 15周年アクティビティは「津の誇り、古墳忠盛塚に津ライオンズ緑の公園を造る。楠、欅の大木を中心として、吉野桜、サツキにて色を添え、本ツゲ、トチベラの生垣で囲み、ベンチを置き(台北LCよりベンチを6基寄贈)憩の園とする」とあります。
・ 時の会長はL原田で15年の歩みを簡潔な文章で述べておられます。
・ 記念誌としては型通りで、この5年間の3役紹介と各会長・幹事の思い出記事。アクティビティー紹介、会員の写真入り紹介という構成になっています。
中でも、73年のL山松会長、L藤波健一幹事の時に、ブラジルサンパウロ市のビラマリアLCと姉妹提携、また、台北市LCとの姉妹提携というのが大きな出来事として、両Lの思い出話の中に出ています。
◎ 15周年記念にちなんで───随想
・ 記念誌とは別に随想集も発行されています。20数名の方が寄稿しています。
 中には、L黒田の「今思うこと」、L宮田の「アクティビティーの反省」、L藤波の「引田天功の思い出」、が掲載されています。
 引田天功のチャリティーショーを実施したのは昭和48年9月で、天功の人気のお陰でチケットが売り切れたのはよいが、天功が熱を出し当日の出演が危ぶまれ、ヤキモキしたこと。結果は大成功で、190万円の収益金を全額、三重県対ガン協会に研究費として贈呈したことが記されています。当時、超人気マジシャンの天功を呼べると言うのは、極めて大変なことではなかったかと推察します。先輩諸兄は本当にすごい!!

◎20周年記念誌(1980年4月発行)
・ 時の会長L横井の挨拶で始まり、各年度のアクティビティーの紹介、20周年事業の発表、主な行事の思い出、メンバー紹介等々ほぼ型どおりな記念誌と言えます。
・ 記念事業は我がクラブの20周年と津中央の5周年ということで、共同で実施。津駅前に「愛と平和の像」を建立し、79年秋文化の日に除幕式を挙行とあります。高さ2・5メートル、台座を入れると4メートル、両手で鳩を抱えた子供を抱いた気品に満ちた母親像で、愛と平和のシンボルとして建立と記されています。
・ 主な行事の思い出では、金丸初代会長が、地区ガバナーとして、76年5月に、第22回年次大会を行ったことの思い出が記されています。
・ また、亀山LC、津中央LC、久居LCのエクステンションの思い出が当時の委員長の思い出として、記されています。

─以上で会報誌から見た、設立から20年の歩みを完了します。長らくのご愛読、ありがとうございました。新しい年度、L田中委員長にバトンタッチを致します。(L稲畑)