2008年7月 |
ジェントル橋本号、緊張気味にスタート
緊張感いっぱいのL橋本新会長のゴングにより7月第一例会(1157回)が開催されました。会長挨拶では、本年49年目を迎える我が津ライオンズクラブは、脈々と受け継がれてきた先輩諸兄の思いをしっかりと次世帯へ伝承していくことが責務であり、メンバー諸氏のご支援、ご協力のもとにその責任を果たしたいという決意表明があり、「魅力ある例会・会員委員会の運営」、「会員増強活動」に加えて、本年の2大アクテビティである、
華麗なる年次例会
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写真同好会も彩り
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ゴルフ部会だより 初戦Vは、なんとL橋本会長
本年度ゴルフ部会は7月23日、伊勢CCで何とL橋本会長がグロス86の優勝(2位はさすがの80でL杉野、3位はL加藤徹夫)でスタート。L伊藤雅朗部会長の下、L小林幸夫、L松田貞司、L牛場章雄の幹事で行われる。上期の予定は次の通り。
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●─会報誌に見る津LCの歴史─●
百五万石の金丸キャビネット
発足当時の思い出
L原田温夫
─前年度よりの引き続き、会報誌に寄せられたL原田温夫の津LCの歴史を掲載します。
私が津LC15代目の会長に就任したのは昭和49年(1974年)7月であった。任期中には15周年の記念事業を成功させるために、ベストを尽くさなければならないと考えていました。8月例会の日、百五銀行頭取で津LC初代会長の金丸吉生Lから「会長、ガバナーを引き受けることになった」と云われ、突然のことで全く予期していませんでしたので、驚きと不安が交錯しました。金沢百万石キャビネットの宮ガバナーに説得されたなーと感じました。当時の日本の複合地区は、302Eと302Wの二つでした。302E複合地区は準地区をA地区からK地区の10地区で構成され、F地区は岐阜・三重・富山・石川・福井の5県のクラブで構成されていました。従いまして、金丸Lは1975─76に302E─F地区のガバナーに就任することになりました。
地区ガバナーは地区運営の責任者としての職務の内、特に効果的な会員増強及び新クラブの結成を推進するよう要請されますが、新クラブの結成は簡単には出来ません。地区内のクラブが、新しいクラブをエクステンションするのを待っているより、津クラブが津市内に新しいクラブをエクステンションしなければならないと思い、直ちに津LCエクステンション委員会を結成し、新クラブの結成に着手しました。
山田委員長をはじめ会員の努力の結果、12月迄に新クラブの会員予定者が揃い、津クラブから何名か転籍するか?等々色々な意見が出て、紛糾しましたが、私が会長として、1名も転籍せず、ニューメンバーをもって結成すると宣言し、騒ぎは収まりました。
クラブの名称も津中央ライオンズクラブと決定され、会長予定者も決まり、いつでも結成会が出来るようになりましたが、金丸ガバナーが就任されるまで待ってもらう為、数ヶ月準備例会を開いていただきました。
金丸ガバナーは、1975年6月アメリカのダラスで行われた第58回国際大会で正式に就任され、帰国された7月6日に津中央LCの結成式を行うことが出来ました。
キャビネットの役員については、金丸ガバナーから何の話もありませんでしたので、どうなるのか心配していましたが、12月になり百五銀行本店に、キャビネット役員予定者の意見を聞くということで集められましたが、誰からも具体的な意見は出ませんでした。それではということで金丸ガバナーから、キャビネット幹事L原田、キャビネット会計L真弓。4名の副幹事、2名の副会計、津LCから選出の4名の委員長と、ホストクラブから各1名の委員長の推薦を受けた9名の委員長が発表されました。幹事団(幹事と副、会計と副)は半年後にせまったキャビネットの勉強のため、早速金沢に向かい、宮ガバナーから熱心なご指導を受けることが出来ました。
私が会長をした1年間は、津LC15周年記念大会、津中央LCの結成の準備、302E―F地区キャビネットの準備と大変でしたが、会員の総力と協力によって、津LCの伝統を汚すことなく、過ごしえたことを今でも心から感謝しております。