2011年4月号

         


ダメ、ゼッタイ

薬物乱用防止教室


細石講師

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渡辺講師                   赤塚講師

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真柄講師                久保井講師

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池田講師                 杉田講師


 ライオンズクラブが取り組む青少年健全育成。そのメインでもある薬物乱用防止教室『ダメ、ゼッタイ』が本年度も7回行われた。
 3月第2例会でその報告が主講師を勤めた七名のライオンによって行われた。以下、その概要をご紹介します。
 毎回、最初にDVDで20分、薬物の怖さを知ってもらい、その後、ライオンのお話。
 トップバッターは7月13日、美里中学のL渡辺味。配付資料とは違った切り口でこどもの気持ちをつかみつつ、もう専門家顔負けの熱気。
 9月7日、南郊中あすなろ分校、L真柄哲朗は薬物の種類、怖さ、影響など、慎重に言葉を選び、わかりやすく指導。
 10月5日、片田小学校はL池田雅敏。ご自身の高校生の娘さんの話もまじえ、ダメを説明。応援のL松田、L渡辺も加わり、「ダメ、ゼッタイッ!」と大きな喝を入れ、参加者一同ビクッ。
 11月26日はL赤塚裕功が薬局経営者らしく専門知識もまじえ、薬の管理者として様々なことを教える。
 12月1日は安東小学校でL久保井仁。高校生の頃の話に生徒たちは興味津々。煙草の害についても教える。L橋爪第三副会長も後半を指導。生徒たちは知らない薬物に驚く場面も。
 年が変わり、1月25日には養正小学校でL細石健二。あの大きな体に大きな声で、わかりやすく説明。生徒たちの反応が非常に良かった。
 2月2日は明合小学校。L杉田真一のお話。2度目のL杉田は子どもたちに興味を持たせつつ、薬物の怖さを伝える難しいことをしっかり伝えた。
 いずれの教室も少ないところで20人、多いと46人。L加藤会長、L松田幹事も参加し、会長から「ライオンズクラブとは」を説明し、何のためにこの教室をするのかを丁寧に話していただいた。
 認定講師の中には、話の苦手な方も、大好きな方もいて、時に話に詰まったり、脱線したりもするが、そこは学校の先生と違いその辺のおじさんの話として親しみをもって聞いていただいた。
 話し終えたライオンに「しっかり聞いてくれた!」との表情が浮かぶのが印象的であった。



137万円を日赤三重支社へ

東日本大震災義捐金



義捐金を託すL加藤会長(右)


 津ライオンズクラブは4月11日に発生した東日本大震災への義捐金として137万円を日赤三重支社に託した。
 これはライオンズクラブ複合地区としての1人あたり3,000円とは別に例会での募金87万円とクラブからの50万円を加えて義捐金としたものです。
 東日本の被災者の皆様の苦難はまだまだ続くことが予想されますが、津LCとしてはチャーターナイト例会や年次例会等、機会あるごとに募金を募り、支援を続けていく予定です。被災者の支えとして、「ガンバレニッポン!」「ガンバレ!ライオンズ」を合言葉にウイ・サーブのアクティビティーを継続していきましょう。





アナログよさらば!?


 1223回「地上デジタル放送について」L田中 進




 4月第1例会は4月8日、津都ホテルで開催。クラブ中間会計報告、次年度委員会名変更の審議を経て、東日本大震災への義捐金募集。複合地区から332複合地区への1人あたり3千円の拠出の他に84万4千700円(後に87万円)が集まりクラブからの50万円を加えて日赤に拠出することになった。
 昼食・懇親タイムの後にメンバースピーチ「地上デジタル放送について」L田中進のお話。
 本年7月地上アナログ放送停止後は、地上デジタル放送の受信環境が未整備の場合、テレビを視聴できないこと。
 7月以降、デジタルテレビを購入するか、あるいはアナログテレビで視聴するためにはデジアナ変換装置をご自分で設置するかケーブルテレビ(ZTV)に加入する必要があります。ZTVではアナログ放送停止後も地上デジタル放送をアナログ方式に変換した放送が受信できテレビを買い換える必要はありません。
 また、ケーブルテレビの多チャンネル、様々な料金体系、楽しみ方なども話していただいた。



団体で久々の優勝

名古屋ホスト、桑名、津LC3クラブ懇親ゴルフ







 名古屋ホスト、桑名、津LCの懇親ゴルフは、去る4月19日、昨年度の日本オープン開催コース、愛知CC東山コースで開催。
 津からの16名を含め、43名が参加。
 心配された雨も朝から上がって絶好の日和の中スタート。と、思いきや突如雷、大雨。それぞれ小屋に入って待機し、またも清々しい快晴。と、またも風が吹き出し寒くなるなど、「名古屋は一日に四季があるなあ〜!」などと言いながらも頑張る。と、どうだ!上がってみると、2位・L伊藤雅朗、3位・L片岡、6位・L赤塚高之、7位・L宮木三郎、10位・L森田と来て見事団体優勝。いつも桑名にやられっぱなしでいつからか覚えのない優勝。2位のL伊藤のスピーチも快調に漫談。
 なお、4月12日の津中央LCのチャリティーゴルフは津LCの6組をはじめ三重白山CCにて170名で開催。併催の月例は優勝・L片岡、2位・L小寺、3位・L伊藤健でした。



4月12日、三重白山CCで津中央LCチャリティーゴルフ





咲きました






 津LC50周年を記念した中勢グリーンパークの桜は今年も立派に咲きました。
 今年は少し遅めの4月4日頃から咲き始め、128本、一本も枯れることなく10日過ぎにはほぼ満開。休日には「桜守」のご家族らしき人たちがお花見をする光景も見られた。(写真は4月11日)





簡単なプログラムくらいなら、

独学で情報処理技術者資格





L岩間 弘


 本日は第三銀行常務のL岩間弘を招き、お話をお聞きします。
まずは、ビールで乾杯してはじめましょう。お酒は強い方ですか?結構いけそうな感じですが……。



L岩間 好きなんですが、弱い方なんです。ウイスキー、焼酎をメインに飲んでいます。
─晩酌はやられないんですか?
L岩間 昔は、と言っても去年の夏からやめております。ガンマGTPが高かったので。アルコール性です。だから外での酒だけにしております。
─趣味はどうなんですか?
L岩間 それがないほうなんですけど、あえて言うならゴルフ。
─うまいんですか?
L岸江 一緒の組ではなかったけど、うしろの組で回っていましたのでだいたいわかります。ライバル銀行の数くらいのスコアで楽しいゴルフでしたね。
L岩間 そうですね。あと、ウオーキングでしょうか。一日一万歩を歩くように心がけています。
─一万歩ってすごいですね。毎日でしょう?
L岩間 健康にもいいですから。雨の日以外はだいたい歩いています。出勤の時、帰りの時、駅、自宅間を遠回りして歩いています。
 あとはパソコンでしょうか。独学で情報処理技術者の資格を取り、簡単なプログラムぐらいは作れます。いまボーイスカウトのお手伝いをしておりまして、そこのホームページを作らせて頂いております。
─立派な趣味をお持ちじゃないですか。それだけあればすごいですよ。ところで、金児さんの交代会員でしたね。
L岩間 ええ。L加藤会長のスポンサーで入会させていただきました。
─スポンサーは会長なんだ。
L岩間 交代会員は会長がすることに決まってるみたいですよ。
─ええ、今まで知らなかった(笑)ちょっと、恥ずかしい。
(※過去にも現在にもそんな決まりはありませんし、慣例もありません。注=会則・付則委員長)
L岩間 私、実は平成12年〜13年の8ヶ月間、亀山支店長の時、亀山LCに在籍しておりました。あの時の会長はL神野でした。
─ああ、あの方の時ですか。
 ところでご出身はどちらでしょう?
L岩間 生まれは兵庫で、小2〜小6まで北海道上富良野で育ち、愛知へ来て大学に進み、就職し、現在三重の白子に住んでおります。住んで26年です。
─また転々と……。
L岩間 親が自衛隊だった関係で。
─上富良野は我が津LCと姉妹提携している上富良野LCがあります。また3年後に周年記念があるので北海道へ行くときはぜひ。奥さまとは恋愛結婚で?
L岩間 はい。嫁の親は愛知なので、愛知と職場の松阪の中間と言うことで鈴鹿の白子に住居を構えております。特急も止まるし、便利ですよ。
─愛知の嫁さんとは結婚派手じゃあなかったですか?
L岩間 それは名古屋ですね。私の嫁は豊川ですので……。
─お好みの女性は?
L岩間 スリム系が好きです。ふくよか系はちょっと。芸能人では柴咲コウなんかがいいですね。
─もちろん奥さんはスリム系?
L岩間 ……、……。む、むかしはスリムでした。
─家族構成は?
L岩間 嫁と29才の長男と25才の長女がおります。上の子は豊田にいます。下の子は同居しております。
─娘さんはそばにおいときたいですか?
L岩間 そうでもないんですが、安心です。
─津の町、どう思われますか?山の幸あり、海の幸ありと言われますが?
L岩間 それもありますが、人情があり、あったかい人が多いように思います。よそモンを受け入れてくれる町です。伊勢、松阪、伊賀、四日市、いろいろ特色がありますが、津は輪に入りやすい。
─嬉しいこと、言ってくれますねえ。津LCへのご意見、ご感想は?
L岩間 会員数が多いのに驚きました。出来るだけ多くの方と親しくさせていただきたいと思います。
─話は変わりますが、金融株上がりませんねえ。
L岩間 日本経済のバロメーターみたいで、先行き経済の厳しさを物語っていると思います。東日本復興大変です。
─今日はいろいろとありがとうございました。ちょっと二次会でもお付き合いを……。
L岩間 はい、喜んで。(このインタビューは東日本大震災、12日後でした。)