2011年5月号

         



2011・4・23〜25




舞台の前で全員集合

 L加藤会長をはじめ12名(乙部事務局員含む)を乗せた船は、4月23日(土)早朝7時津なぎさまち港からセントレアに向けて出港。いつもより早く起床した人は普段のテンションよりは少々低めでしたが、おおむね全員今日からの台湾での3日間を楽しみに期待を心に抱きながら、中部国際空港よりJL821便にて一路台湾桃園国際空港へ出発。到着後は早速、永康街の店の前はいつも黒山の人だかりという「鼎泰豊」で、熱熱スープがあふれ出る蒸したての小籠包で昼食。常に行列が出来ている人気ぶりが納得できるおいしさでした。
 ホテルでチェックイン後、夕刻から台北華國大飯店にて姉妹ライオンズクラブ歓迎晩餐会に出席し、台北LC鄭会長、曾前会長他多勢のメンバーに心からの熱烈大歓迎を受けました。少々アルコールのメーターも上がり気味でしたが、その後ラウンジでカクテルをいただいたり夜遅くまでマッサージを受けたり楽しく過ごしました。
 二日目の午前中は自由行動。台北の昔からの友人を訪ねる人、超高層ビル「台北101」の展望台に昇った人、マッサージに行った人、そして國立故宮博物院で中国5千年の歴史を勉強した人など。幸いなことに台北の3日間は私たちを大歓迎するかのように連日好天気で、とりわけこの日は、津の真夏のような天候でした。夕方、高雄に前泊のL宮木三郎、上富良野LCのL中川と共に式典会場の典華宴會館旗鑑店へ全員到着しました。各LCごとに入場行進をしながらの式典はスタート。その後、台北LC会長、来賓の挨拶、東日本大震災で被災された福島県白河LC前会長の挨拶、そしていよいよ津LC加藤会長のすばらしい挨拶があり、台湾の皆様から100億円以上の義捐金をいただいたことに深く感謝しますとの内容のお礼の言葉を述べ記念品の交換をしました。その後、女性の地区ガバナーより会長経験者全員にバナーの贈呈があり津LCもL宮木三郎、L山路、L中村、L加藤の4名が壇上にてガバナーと共に記念撮影をしました。その後、若い女性ダンサーのアトラクションやカラオケタイムなどで楽しんだ後、津LCメンバーで2次会会場へ移動しその晩も台北の夜を堪能しました。最終日は、またL宮木三郎、L中川と別行動となり、台湾茶を楽しんだり、免税店で土産物の買い物をしたりしながら空港にて最後の台北料理をいただき帰路につきました。充実した3日間を過ごし大変満足そして疲れました。

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台北に到着                   まずは飲茶で

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歓迎晩餐会                ソンさんとL橋爪

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バナーの交換                 L加藤会長の堂々のご挨拶


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姉妹クラブ一同舞台に                 記念品の交換


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歴代会長にバナーを頂く                 アトラクションで


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ご機嫌です                 前会長同士で









ガバナー特別大賞を受賞


 岐阜関で第57回地区年次大会




 5月15日(日)、地区年次大会に例会振替として参加。
 本年度はガバナー晩餐会、記念ゴルフも中止となり、いくぶん淋しい年次大会ではあったが、昼食に地域のB級グルメを集めて、屋外にテントを張り、露店形式で五月晴れの下、たっぷりとビール、地酒、ワインを楽しんで大会に。もちろん、席に着いたとたんぐっすりのライオンも……。
 L炭竈ガバナーの挨拶などのあと、年次表彰。我が津LCは会員増強、杏里チャリティーコンサート、瑞宝太鼓などが認められ、ガバナー特別大賞とグッドスタンディング賞に輝いた。
 懇親会は津に帰り木曽路で行われた。



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屋外のテントの下で                 B級グルメを味わう


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かなり出来上がりました                 各地のB級グルメ


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クーポンはすぐに足らなくなって                 快晴に恵まれて



ガバナー夫妻と三役


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眠そうです                 ムリに起きています


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ソングリーダーは誰やった?                 L炭竈ガバナー


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ガバナー特別大賞を受賞                 アクティビティーの災害機動車





心温まる記念式典

伊賀北LC25周年記念式典



東日本へのエールをこめて身の丈にあった地域奉仕をとL中井会長


 2011年4月24日(日)、上野フッレックスホテルで伊賀北LC結成25周年記念式典が行われた。
 我が津LCも総勢10名で式典に参加。L中井洸一会長より歓迎の挨拶があり、また記念事業として三重大学吹奏楽団によるレッスンと合同コンサート、伊賀北LC杯少年サッカー大会、記念植樹などの発表。会員も31名になり、背伸びせず、現状にあった事業をやっていきたいとのことでした。





L藤波が「私の女性観」を語る

=4月第2例会=




 4月第2例会は22日18時より都ホテルで開催。次期委員会構成案、複合地区より依頼の義捐金の件をそれぞれ承認。新入会員として林修司氏(三井住友海上火災三重自動車営業部長)が交代会員として紹介された。
 当例会はチャーターナイト例会で、メンバースピーチとしてL藤波健一により「私の女性観」と題してのお話を頂いた。
 L藤波ならではの女性に寄せる清らかな心根、亡き奥さまへの変わらぬ愛情、そして48年に及ぶライオン経験を明るく、ときにユーモアをまじえて語り、後輩ライオンの感動を誘った。





さっそく東日本に駆けつける熱血漢





L小清水丈久


 本日は津LC最年少のL小清水と対談します。まずはL小清水の生い立ちについてお尋ねします。
L小清水 九州・博多の出身です。父はなくなりましたが、弟と妹がいます。九州で母の面倒を見てもらってます。
 IT関係の会社に勤務しておりました。
─博多ですか。武田鉄也、ソフトバンクの孫社長が浮かびます。
L小清水 はい。その業界です。全国転々としておりました。名古屋で今の嫁さんと社内恋愛しました。東京への転勤には、嫁さん連れで、26才の時です。嫁さんが三重で料亭・寿美家の次女でその関係で退職し、今の仕事につながっております。
─寿美家さんのあととりですか?
L小清水 いえ、義兄は店で板前さんをやっていて、また義姉は若女将です。それで私の居所をさがして、仕出し屋をやり始めました。
─今は何店舗ですか?
L小清水 四日市、津、名張で3店舗、80名ほどパートを使っています。
 それと昔の仕事の延長で携帯関係で30名ほど。
─若き実業家ですね。口コミで広げているんですか?
L小清水 それもありますが、ネット販売にも力を入れています。楽天、ヤフー、自社ネットHPで。
─やりますね。
L小清水 お陰様で。材料を冷凍して宅配で送っています。
─若いのに何故LCへの入会、きっかけは?
L小清水 ふるさと新聞の中瀬さんから、勉強したいというならしっかりしたクラブへ入って活動した方がいいと助言を頂き、入会を決定しました。
 立派な人たちが大勢みえますので勉強になると痛感しております。
─うれしいですね。ところで津の町の感想は?
L小清水 津は素晴らしい。品性がいい。三重県全体にいい人が多く、僕にマッチします。
─趣味、スポーツは何でしょう?
L小清水 読書、ビジネス書を多く読みます。「もしドラ」とか。
─何それ?俺、知らない。
L小清水 「もし女子高のマネージャー、ドラッガーだったら」おもしろいですよ。
 スポーツはゴルフレッスン中です。津中央LCのチャリティーでコース2回目です。
─はあ〜ん!俺、それに負けたんかい!ショック!!
 続いて女性の好みは?
L小清水 色白、ぽっちゃりタイプ。芸能人では上戸彩。
─こら、ソフトバンク系かい。健康法は?
L小清水 う〜ん。しいて言えばストレッチですね。そんなに時間かからないし、どこでも出来るから。
─俺、サプリメントに頼っているおじさんです。酒は好きそうですが…
L小清水 平均の人以上ですね。九州人ですから。
─家族は?
L小清水 妻31才と娘1つ半、それとペットのチワワです。
─小清水という姓、九州に多いの?
L小清水 まあまあ。九州では「こそうず」と呼ばれています。
─俺の知り合いに上別府と書いて、「うえんびゅう」と読んだんだもんな。これも九州人だった。
 最後になりますが、我が津LCでは30代がお二人います。津LCに溶け込んで頑張ってください。

─L小清水は3月11日に発生した東日本大震災に際して、時を置かずして日頃の仕入れ業者の協力をあおぎ、食材をトラックに積み込み、自ら運転して女川へ向かわれたとのこと。以下にその模様をご報告いただいた。

 東北大震災訪問考察
         
L小清水丈久

 改めて激甚災害となった東日本大震災により被害にあわれた皆様に、心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々と御遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。

 僭越ながら、支援活動に至った経緯や状況を御報告させて頂きます。
 様々な方が、状況が日毎に明るみになる中、日本全体が悲しみに包まれた事は周知の事実で御座います。しかしながら、震災当日は各自状況が掴めず相互に牽制し合う状況下にあったのでは無いかという、誠に勝手な青い憶測にかられてしまいました。そんな中我々が考えた事は『初動が肝要』という一点のみであり、現在の自分達に出来る事は何かを考えました。それは、我々のような人脈も無く、知恵の浅い若輩は行動によってのみ貢献出来るとの思いがあり、今回の行動に至りました。
 各納入業者様の御協力もあり、迅速に物資も集まり3トントラックに物資を積込み女川町の手前の石巻市の避難所に向けて出発致しました。現在、現地の状況はメディアを通じて直接的な声が多数入っていると思いますが、町は数棟のビルの骨格を残し、ほとんどがガレキ、そのビルの3階屋上にはひっくり返った車、唯一の高台にある標高20m付近の病院にも何台もの車が転がっている筆舌に尽くし難い状況に、一切の日常は消し飛びました。
 私は、現在この報告を書いている今でも単純な「頑張って」や、安易な言葉が現地の方々の感情を逆撫でしないか、壊れたその人達の故郷の写真を撮っていいのか、興味本位で話をしてもいいのか、分らない事ばかりです。更には、人々の関心を得る為に行動した訳でもありません。ただただ我々を動かしたのは人間的な感情だけであったように思います。
 私の様な若輩が、語る問題でも無い様に思いますが、現地を肌で感じた経験は私の人生に大きな一石を投じた事は間違いありません。今後も継続的な支援を実施する事を固く誓い、筆を置きたいと思います。