2008年5

   

      

   

五月晴れの下、ライオン集合

─334-B地区年次大会─
2008年5月18日(日)


 
手堅く、スムースな運営が好感

   

  334─B地区年次大会が、5月18日(日)、四日市文化会館をメイン会場に開催され、我がクラブからは、事務局を含め33名が参加しました。昨年の揖斐川からまたもう1年が経ってしまった、というのがまず一番の感想です。今年の大会は、例年に比べ、質実で、手堅くかつスムーズな運営であったというのが、2番目の感想です。最近の大会でよく見られたフォーラムも無く、時間通り、進行していきました。オープニングの諏訪太鼓とハマダキューティーの子供達のダンスで雰囲気を和らげ、L豊田良郎大会会長(例によって白のタキシード)の開会ゴングで始まり、来賓挨拶、年次大会決議事項の報告、アクティビティーの目録贈呈等々、整斉と議事が進行しました。
皆さんにご報告しておくことは……。
1. 今年国際大会が開かれるタイのバンコクからホスト委員会委員長が出席されており、たくさんのLが登録するようにとのアピールがありました。
2. 来年のスローガンは「築こう 奉仕の山脈 熱き心で…」です。
3. 大会記念事業の一つは、ライオン像(Cab.─kun)の設置一式450万円。
 四日市の市役所近くの商工会議所前に設置され、ローマの休日のライオンの口をモチーフに考えられたそうです。浄財をその口に投入するとウオーという雄たけびが流れる仕組みとか、皆さん四日市に行かれた際は一度お試しを。
4. ガバナー大賞は津西クラブ他3クラブ。会員増強とCSF貢献がキーワード。我がクラブは、社会福祉優秀賞を頂きました。
5. 天気晴朗。やっぱり天気が良いと気持ちもハッピー。広場の「からくり山車の大入道」も笑っていました。
 さて、来年は多治見、そして再来年はいよいよ津。L石井ガバナー予定者頑張って!
 というか、皆で支えていきましょう。そのとき我がクラブも50周年。どうなりますことか…。なるようになる。楽しみましょう。(L稲畑会報委員長・記)

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会場外では伝統山車の揃い出し。

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(左)帰りの懇親会「魚長」でL原田の乾杯。(右)しっかりいただくL宮木三郎とL村山







6名の新入会員を迎えて

=4月第2例会:4月25日=
チャーターナイト記念例会



交代会員のL木村(左)とL真柄(右)


4名のJC卒の気鋭の新人

  
 本年度のチャーターナイト記念例会は、6名の新入会員を迎えて開催。
 L木村嘉伸・(株)デンソー三重、L真柄哲朗・三井住友海上火災保険(株)の両名は交代会員。L松川智郎・(株)松川興行所、L久保井仁・(有)久保井工業、L藤川博・(株)藤川工務店、L牛場章雄・(株)菊谷電気商会はそれぞれ津青年会議所を卒業した気鋭の新人。
 さっそくチャーターナイトのイベントとして6名の新ライオンにスピーチをしていただいた。
 しかしまあ、語り口のスムースなこと。そして、自慢や宣伝、信条をとくとくと述べることなく、爽やかな語り口に驚かされた。まさに、クラブにどっぷりと浸かった先輩ライオンに「初心忘るべからず」と言外に諭された感があった。



YE受入を報告

=5月第1例会:5月9日=
L寺家がスライドをまじえて




 5月第1例会は、YE国際関係委員会の担当。
 委員長のL寺家が昨年夏にL渡辺のホストファミリーとして受け入れた活動をスライドを交えて紹介。
 交換留学生はイタリアのマルタ・パルシオさん。
納涼例会でのご出席でご記憶のライオンも多いと思いますが、まさに妙齢のべっぴんイタリアーノ。
 我が伊勢路、津の花火、ライオンズメンバーの企業、市長への表敬訪問とびっしりのスケジュールをこなす姿が紹介された。
 圧巻は、L杉田の「すぎしん」さんでの和洋ドレス姿の撮影写真。「ふ〜ん、やっぱ西洋人はドレスがよう似合うわ!」という声が聞こえるようだった。それにしてもL渡辺はじめ、みなさんの気持ちがしっかりと感じられた。お世話様でした


   

ゴルフ部会だより


名門・和合で懇親ゴルフ

名古屋ホスト、桑名、津LC三クラブ懇親ゴルフ
=5月12日(月)


和合名物17番ショートホール


スタート前の4人

 名古屋ホスト、桑名、津の3クラブ懇親ゴルフは、5月12日、クラウンズを終えたばかりの名古屋ゴルフ倶楽部和合コースで開催。津からは15名が参加。快晴のもと名門倶楽部での一日を楽しんだ。
 結果はなんと、我がクラブ、L山路が優勝。パーティで堂々の優勝スピーチを行った。
 上位5名による団体戦では常勝桑名が優勝。しかし、2位津との差はわずか2ポイント足らず、次回には「ゼッタイに打倒桑名!」を誓い合った。
 この懇親ゴルフは、親クラブである名古屋ホストの故L後藤顕義が声をかけてくださって始まったもの。L後藤は津の初代会長・L金丸とともにまさに津の生みの親。出席するたびに古きよき名古屋の先輩ライオンにお会いできるのが楽しみであったが、近年、古老のお姿が少なくなったのが少し淋しく感じられる。次回は桑名LCが担当。 

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(左)挨拶をするL小寺会長        (右)優勝のL山路




●─会報誌に見る津LCの歴史─●

=その4=

国民愛国委員会?

1969(昭和44)年〜1972(昭和47)年




─以下、前号よりの続き。
◎1969年会報第2号では、
・「津ライオン生年表」に一番若いLとして、L森伸生のお名前が出ています。ちなみに、当時の最年長LはL船谷の明治34年生まれ。L森が昭和13年ですからすごい年齢差です。

◎ 1965年の5周年誌より(45ページ)
・ 5周年記念アクティビティーは体育館の電光掲示盤125万円
・ 5年間の合計アクティビティー金額は205万円(電光掲示盤を除く)
主要なものは、チャーターナイト記念事業として、時計台寄贈41万円。交通取締り用自動二輪車寄贈21万円。その他、県体育協会へオリンピック強化選手資金寄付、老人ホームへ冬オーバー2着とか、自転車・テレビ・テープレコーダー・ランドセル等の寄贈、津高校火災復興資金寄付、等々多岐にわたっています。
・クラブの状況…日本の181番目のクラブとして発足。チャーターメンバーは25人。5周年記念時の会員数56人。当クラブのスポンサーにより亀山クラブ発足。

◎ 1970年の10周年誌より(36ページ)  
会員数75名
・ 津ライオンズクラブ10周年記念パレード。朝からの雨も上がって、洗い清められた国道23号線を騎馬隊、ボースカウト、バトンガール、鼓笛隊、自衛隊音楽隊を先頭に行進する様子が写真に収められています。(市内パレード費用15万円)
・ 名古屋フィルハーモニーを呼んで市民の夕べと題しコンサートを開催。(40万円)
・ 記念アクティビティーは、津偕楽公園のコンクリー製あずまや170万円。
 5周年以降で主要なアクティビティ。
13回年次大会事業として、津体育館前の噴水塔を設置寄贈(1967年5月)。その他は、電化製品の寄贈とか、援護家庭にランドセルの寄贈を続けています。

◎1970年からの10年の会報誌と記念誌
今回は1972年(昭和47年)と73年の会報&会誌および、15周年記念誌、20周年記念誌を取り上げてみたいと思います。 前回の69年(昭和44年)6月以降、会報誌(会誌)がどうなっていたのか不詳ですが、現存する次に古いものは、72年から73年にかけての会誌1回分と会報3回分のみとなっています。会報と会誌の違いは多分、立派表紙の冊子になっているのが会誌で、ぺらぺらのB4の薄い紙4枚に印刷し、半分に折り曲げたもの(すなわちB5、8ページ分)が会報と呼んでいたようです。ただ今見ると、両者とも内容に差はなく、アクティビティーの記録や随想が掲載されています。

◎ 津ライオンズクラブ会誌(1972年7月)
・ 表紙はL斉藤甲子生のライオンの絵。巻頭は前年度会長のL中山の1年を振り返ってのご挨拶。
・ 目を引いた記事は、前年に入会したL杉田が「花嫁衣裳と共に20余年」と題した随想です。「貧しきゆえ耐える」という話、金融商売の話、貸衣装屋を始めたいきさつ、商売の心得、情報化社会や価値観の多様化といったことを論じておられます。
まさに名文、昭和47年に情報化とか価値観の多様化といった話が出ているのに、驚かされます。
・また、L三宅が「おたずねにお答えして」というコラムで、税理士と関与先との関係について、ズバット直言謹言を書いておられます。

◎ 1972年10月(72年1号)
・ 「YE交換留学生てんやわんや」という記事がトップ。我がクラブとして初めて派遣と受け入れを同時に実施したようです。
・ 「委員会だより」というコナーで目を引いたのは国民愛国委員会という委員会です。
いわく、「愛国精神の高揚を計るため、国旗の掲揚を奨励する。このため全会員に国旗1流宛贈呈しますので、是非掲揚に努めていただきたい。また津公園環境整備の一環として、隣接の護国神社に水銀灯2基を贈呈する。この資金獲得のためチャリティーバザーを企画し協力した。」とあります。この時の委員長はL藤波健一です。
・ 「編集後記」には、今年度は年4回の会報発行の方針を立てて、編集に着手しましたが、なにぶん経験がないため会員の皆様に、ご無理なお願いをして申し訳在りませんとありますように、会報発行は今のようにシステマティックではなかったようで、会報委員の皆さんのご苦労がしのばれます。ちなみに会報発行委員には、L三宅克也、L森伸生のお名前も。
・ マージャン会成績が、ゴルフ会成績と同じように載っており、麻雀が盛んだった様子がうかがえました。